実家に住んでいたころは一緒にお風呂に入っていたほどの“仲良し姉妹”。雨が降ると駅まで麻央さんが麻耶さんを迎えに行って“ひとつの傘”で帰っていましたよ」(前出・麻央さんの知人)

 自分のことよりも妹のサポートに専念するため、仕事もセーブしたという。

「司会を務めていたバラエティー番組を降板後、新たにオファーのあった番組も断っていました。

 高齢の母親に麻央さんを任せるわけにはいかず、麻央さんとお子さんたちのお世話を積極的に引き受けていたそうです」(テレビ局関係者)

 梨園の世界では嫁姑(しゅうとめ)の絆が強いのは有名な話。海老蔵の母である希実子さんも麻央さんに優しく接していた。

希実子さんは常々、麻央さんのことを“いい嫁が来てくれた”とお話になっていました。それだけに、お嫁さんが病気になっても海老蔵さんを中心にご家族や一門の方々が一丸となって麻央さんを支えていらっしゃったんです」(成田屋のご贔屓(ひいき)筋)

 麻央さんも姑に従い“梨園の妻”というものを勉強していたのだろう。

「麻央さんが生前の市川團十郎さんを献身的に看病していたことを、希実子さんはとても感謝していました。

 麻央さんのがんが見つかったときには“私がなればよかったのに……”とまで言っていたそうです」(前出・成田屋のご贔屓筋)

 最期まで家族を愛し、家族に愛され続けて逝った麻央さんは、幸せだったにちがいない――。