病院の現場に、講演に、医療の刷新運動に……100歳を越えてなお、新しいことに挑戦し、他人の命のために自分の命を使い続けてきた日野原重明さん。人生の最後まで実践し続けてきた「命」の使い方に迫る──。
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この人ほど「命」について伝わる言葉で話した医師はいないかもしれない。
日野原重明さん。7月、105歳で亡くなったが、人生の後半は、子どもたちに「いのちの授業」を通して、命とは何かを伝える活動を続けていた。その授業をそばで聞いた人たちの話をまとめると次のような要旨になる。
生命誕生から40億年という時間軸でみると、私たちがいま生きているときは、砂粒程度の小さな存在かもしれない。でも何億年もの間、受け継がれてきたいのちをあなたたちは授かった。何か意味があるはずだ。
いのちはどこにあると思う? 心臓? 頭? 心臓は血液を全身に送るポンプ、頭は考えたりするとき使う。でもそれらは身体の一部にすぎない。では、いのちは何かといえば、目に見えないものなんだ。掴むことも触ることもできない。でも感じることはできる。
葉っぱがそよいでいるのを見て、風が吹いているのを感じるみたいに。空気は見えないけど必要なように、いのちも同じように見えないけど大切なものだ。
私は、いのちとはあなたたちが持っている時間だと思う。それをあなたたちは自分のためだけのものだと思っているかもしれない。でも大きくなったら、そのいのちと時間を自分以外の人のために使ってほしいんだ。そうして人の幸せのためにも。
もし世界中の人たちがそういう考え方をすれば、戦争なんて絶対に起きないよ。自分の幸せばかりみているから、人は争ってしまう。戦争はいのちを奪うから絶対にやってはいけないんだ。
日野原さんの人生を振り返るとき、これはまさに自身の「命」の使い方だった。人や人の命のために、自らの命を使った人生をたどりたい。