日本を代表する観光名所である東京・浅草。一時はゴーストタウンと呼ばれたこの街のため、半世紀以上にわたって尽くし、盛り上げ、復活へと導いてきた伝説の女将がいる。女だけの協同組合を立ち上げ、おかしいと思ったら相手が大臣でも直談判。夫の愛人の世話さえ惜しまない。名だたる財界人の信頼をつかみ、数々の事業を成し遂げてきた“粋”ざまに迫る!
浅草・伝説の女将
「大役を引き受けることになりました」
岸田新政権の発足直後、そんな1本のメールが女将の元に届いた。そして次のように返信し、エールを送った。
「大役、けっこうです。次はあなたが総理になるんですよ!」
送信先は、新政権の主要ポストに抜擢された、ある大物政治家だった。
「本当にいろいろな大物にかわいがってもらいました。すべては『浅草おかみさん会』で取り組んできた町おこしが原点にあります。古い言葉で言うと郷土愛。それでここまでやってきました」
そう誇らしげに語るのは、東京・浅草にある手打ち蕎麦店『十和田』の女将、冨永照子さん(84)。協同組合・浅草おかみさん会の理事長でもある。
新型コロナ対応の緊急事態宣言が全面解除されたあとの10月4日夕。まだ多くの店舗がシャッターを下ろす浅草すしや通り沿いに、「コロナに負けるな!」という横断幕を掲げたその店は、煌々と明かりを灯していた。
紫色の暖簾をくぐって店内に入ると、平時のにぎわいを取り戻したかのように、常連客たちで席が埋まっていた。全員男性だ。その中に、ピンクの衣装を身にまとった冨永さんが、酒のグラスを片手に、テーブルを渡り歩いていた。小柄ながら、男性客を相手に堂々と振る舞うその姿は、女将の風格をさりげなく漂わせていた。
そんな彼女は、先の政治家以外にも財界、芸能界など各分野において一線で活躍する大物たちに幅広い人脈を持ち、東京・浅草の町おこしに力を注いできた。
つくばエクスプレス(TX)の誘致、浅草寺のライトアップ、2階建てロンドンバスの導入、「浅草サンバカーニバル」や「ニューオリンズ・ジャズフェスティバル」の開催……。
冨永さんが町おこしのために取り組んできた事業の数々だ。講演依頼も全国から次々と寄せられ、これまでにこなした数は1000回近い。
コロナ禍においてもその人脈はいかんなく発揮され、懇意にしている社長や旅館からお歳暮や菓子の大量注文を受け、なんとか凌いできた。
今年9月なかばには、20年ぶりとなる新刊『おかみの凄知恵 生きづらい世の中を駆けるヒント』(TAC出版)も上梓した。
《「義理人情と心意気」を忘れたら、もうおしまい》
《小さいお金は使う。大きなお金はもらう》
《悪口は聞こえるように言う。陰口は言わない》
《酒も呑みます、生きるため。嘘もつきます、生きるため》
豪快な女将語録が詰まった1冊は、冨永さんがこれまでの経験で培った知恵に裏打ちされていた。
そんな「凄知恵」ならぬ、「凄女将」の人生とは一体、どのようなものだったのか。