目次
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ー 明治、大正生まれのおばあちゃんからのラブレター
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ー 収録のたびに救急車3台
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ー たけしは次男の名づけ親

 

 かつて世間の注目を集めた有名人に「ブレイク中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー。当事者だから見えた景色、聞こえてきた声、当時は言えなかった本音とは―?'80年代に『街かどテレビ』の司会者だった大木凡人。平日の昼間は「おばあちゃんのアイドル」として人気者に。しかし、今も忘れられない当時の過酷ロケとは―。

明治、大正生まれのおばあちゃんからのラブレター

 おかっぱ頭の丸顔に大きなだて眼鏡、人懐っこい笑顔。ひと目で大木凡人とわかる。

「前髪だけは自分で切っています。ずっとおかっぱがトレードマークですから。一度、金髪に染めたことがあるんですが“それ、凡ちゃんのイメージじゃない”って、テレビ東京の番組を降ろされたことがありましたよ(笑)」

 司会者になる前、若いころは営業マンだった。

「裕福そうな家を回ってピアノとエレクトーンの販売営業をしていたのですが“奥さま、絶対音感があるのは3歳から9歳まで。お子さまが習うのは今ですよ”がセールストーク。成績は20人中3位でした。1位と2位の営業マンに同行させてもらったら“奥さま、今日はお会いできるんじゃないかなと、フラリと寄ってみました”と、エレクトーンの“エ”の字も言わないんです。辞めるときに気がつきました。人は商品を買うんじゃなくて、人を買うんだなって」

 その後、キャバレーのバイトとして働いていたとき、ショーの司会者が倒れて代役を務めると、才能が開花した。

「お客さんから毎日チップをもらえるようになったんです。多いときは1か月分の給料くらい」

 上京して、昼間は『東宝』の芸能学校と『東映』の演技研修所で芝居や歌やダンスを勉強。

「夜は銀座や赤坂の高級クラブで司会です。グレン・ミラーやブレンダ・リーを迎えたこともありました。

 お店に来ていたTBSの人からラジオのレギュラーをやらないかと誘われて『凡ちゃんの商店街あの店この店』という各地を回る番組が始まりました。そのうちに、テレビにも出ないかという話に

 '82年から『街かどテレビ11:00』(TBS系)のサブ司会者に。視聴者参加型の歌謡コンテストで、親しみやすいキャラクターがウケて、大木凡人の名は全国区になる。

半年やったら毎日30通ぐらいのファンレターが届くように。名前を見たら、イネ、ヨネ、トネ、スエ、トラ……。明治、大正生まれのおばあちゃんばっかり。言葉遣いが古風で《お元気でせうか》《このやうに思ひます》とか。古文の勉強をしているみたい(笑)。孫のようにかわいがってもらって、“凡ちゃんは笑顔がいいから、ずっと笑っていなさい”と書かれていました。

 バレンタインデーにはものすごい数のチョコレートが来ましたよ。中には“年金が入ったから買ってあげたのよ”なんてメッセージも(笑)」