目次
Page 1
ー 年商50億円の大阪きってのカリスマ会長
Page 2
ー 生きていくために残飯も食べた子ども時代
Page 3
ー 銀座の成功から一転した大阪での開業
Page 4
ー アイデアマンの夫とともに乗り越えた
Page 5
ー 常識にとらわれないパッケージと味
Page 6
ー 10年後を思えば、今が大切なことがわかる

 いまや大阪名物、通販やデパートの催事でも大人気なのが、「マダムブリュレ」。洋菓子の常識外から考え出されたこのヒット商品は、甘くてほろ苦く、まるで人生のような味わい。開発者であるマダム信子さんの人生そのものでもある。大阪のカリスマ経営者の、怒濤の生きざまを今、振り返って―。

年商50億円の大阪きってのカリスマ会長

 ヒョウ柄にピンクを掛け合わせたパッケージ。フランス産の赤砂糖をまぶし表面をカラメリゼした、メープルシロップとバターがしみ込むバウムクーヘン。常温、加熱、冷凍状態と3種類の“口福”がある─。

『マダムブリュレ』は、スイーツ界の常識を覆した逸品だ。

「最初にパティシエに提案したとき『なくような商品はダメだ』と言われました。“なく”というのは、ジャリジャリするような食感のことで、そんなスイーツは常識としてありえないと。邪道で結構。誰もやってないのやったら勝ち目がある。素人だからこそ作れる新しいもんがあるんです」

 自らもヒョウ柄に身を包む、生みの親である川村信子会長、通称“マダム信子”は、そう笑いながら吠える。

「貧乏だった子どものころ、誕生日に母が焼いてくれるホットケーキが年に一度の贅沢やった。そんな懐かしい母の味をベースにして作ったのがマダムブリュレなんです」(信子会長、以下同)

 マダムブリュレは瞬く間に話題となり、大阪を代表するスイーツとして躍進。製造・販売元の株式会社カウカウフードシステムは、年商50億円の企業へと成長し、マダムシンコは大阪きってのカリスマ会長と呼ばれるまでになる。

大阪名物「マダムブリュレ」 撮影/山田智絵
大阪名物「マダムブリュレ」 撮影/山田智絵

 昨年11月、広告を出す京セラドーム大阪で、「マダムシンコデー」と題されたホームのオリックス・バファローズとロッテのファイナルステージ2戦目が行われた。始球式を務めたのは、ユニフォームの下にヒョウ柄を着込んだ会長・マダム信子その人だった。

 その魅力を、親交のある、沢村賞にも輝く日本球界を代表するオリックス・バファローズ投手・山本由伸選手は、「人に対しての愛をとても感じます」と語る。同じくチームに欠かせない投手である山岡泰輔選手も、「若い人に合わせることができますし、表裏がない方なんだと感じます。選手が喜ぶ応援の仕方を考えて応援してくれます。とても励みになります」と話す。

 それを示すように、試合前、ナインが集合し、自然に信子会長を囲むように円陣を組む──というシーンがあった。おりしもコロナ禍。それにもかかわらず、である。

 マダム信子の周りには、おのずと人が集まってくる。人を愛し、人に愛される。それは、もがき苦しんだ道を歩んだからでもある。

「逃げない、捨てない、諦めない。この言葉に感謝やと思う。何度、逃げよう、捨てよう、諦めようと思ったか」

 マダムブリュレを口に運ぶと、カラメルのほろ苦さとバウムクーヘンのやさしい味わい、メープルシロップの甘さが口の中に広がる。人生の悲喜こもごもが詰まっているかのような味。それは信子会長の人生、そのものでもある。