10月19日に、57歳でこの世を去った5人組バンド『BUCK-TICK』(バクチク)のボーカル・櫻井敦司さん。10月24日に所属事務所から突然の死が発表されてから、いまだファンの悲しみが癒えることはない。

 櫻井さんがメンバーと共に足繁く通っていた“伝説のロックバー”といわれる『レッドシューズ』のオーナー・門野久志さんも無念を語る。

「最近は、あまりお会いする機会がありませんでしたが、コロナ禍になってから健康には気をつけているみたいだったので、残念でなりません」

 ステージでは圧倒的なカリスマ性を放っていた櫻井さん。『レッドシューズ』ではどのような様子だったのか。

「メンバーとワイワイ騒ぐこともあれば、カウンターの端で黙々と飲み続けるときもありました。とにかくお酒と人が好きで、私や常連のお客さんといろんな話をしました。『X JAPAN』のメンバーとも仲がよくて、お店で居合わせたらしょっちゅうお酒を酌み交わしていましたよ。BUCK-TICKの打ち上げに来たYOSHIKIが、酔って暴れたことがあって、温厚な櫻井さんが”人の打ち上げに来て何やってんだ!”と怒った、なんて話もありましたね」(門野さん、以下同)

『レッドシューズ』オーナーの門野さん
『レッドシューズ』オーナーの門野さん

 店内にあるステージで歌うこともあったという。

「ジュークボックスの光が櫻井さんの横顔に当たって、すごく幻想的なステージでした。彼ほど美しい男性は見たことがありません。その姿はハッキリと思い出せます」

『レッドシューズ』に通っていた音楽ライターは、櫻井さんの”社長”としての姿を語る。

ステージでの超然とした佇まいとは異なり、プライベートでは謙虚で礼儀正しい印象がありました。あるイベントでは、ミュージシャンだけでなくスタッフも含めて100人以上の顔と名前を把握していて驚きましたよ。人間関係を大切にできるという才能もあったから、BUCK-TICKはメンバーが変わらずにここまでやってきたのかなと

 ロックバンド『カブキロックス』のリーダー兼ボーカルである氏神一番も、櫻井さんのカリスマ性を間近に目撃した1人。

「拙者が20代のころ通っていた六本木のバーで、櫻井さんと一緒になったことがござる。ただし、仕事で3回くらいしか接したことがなく、バーで見かける櫻井さんはステージのままのカリスマで、なかなか近寄れなかったのでござる」

BUCK-TICKの3年後にメジャーデビューを果たしたカブキロックスにとって、櫻井さんの背中は大きかったようだ。

バンドメンバーの服装をゴシック調で揃え、髪の毛を異常なくらい立たせたBUCK-TICKは、ビジュアル系バンドの元祖で間違いなかったでござる。当時、ビジュアル系という言葉はなかったので、それは”BUCK-TICK”というジャンルでござった。カリスマとは、まさに櫻井さんのこと。言葉を選ばずに言えば、最期まで歌い続ける姿も、まさに真のロックスターでござる」

 櫻井さんの遺勲は、永遠にロックファンの心から消えることはない。