“サムライスピリット”ともいうべき強い精神力を持っていた今井さん。だからこそ、病室には妻と姉、付き人の3人以外は入れなかったそう。
「自分の弱っている姿を他人には決して見せたくなかったんでしょう。どんなに近しい人も病室には入れなかった。最期を看取ったのも、奥さんとお姉さんでしたからね。奥さんは今井さんの死後も、葬儀の手続きなどに追われていたためか、病院に集まった関係者の前にも姿を見せませんでした」(今井さんの知人)
今井さんと奥さんの出会いは、30年前の’85 年にさかのぼる。彼が所属していた劇団の新年会に、メンバーの友人として彼女が顔を出したのがきっかけだった。
「当時、今井さんは舞台俳優をやりながらアルバイト生活をしていて、お金も十分にはありませんでした。でも、夢を追いかけて輝いている姿に彼女は惹かれていたんですね。7年越しの恋を実らせてふたりは結婚したんです」(前出・今井さんの知人)
彼のストイックなところは結婚後も相変わらずだった。
「役者はどんな色にも染まることができないといけないから、決まったイメージが見えてしまうと受け手側に違和感を与えてしまうと言って、プライベートを意識的に見せないようにしていました。新宿で舞台をやっているときも、自宅はそこから車で10分ほどのところなのに、あえて自宅に帰らず劇場近くのホテルをとって、そこから通っていたんですよ。家に戻って気持ちが完全にオフモードになってしまうことを嫌っていたんですね」(舞台関係者)
すぐ近くで仕事をしているはずの旦那が毎日帰ってこなかったら、文句のひとつでも言いたくなりそうなもの。しかし彼女は、今井さんのそういったポリシーをきちんと理解してあげて、いっさい文句を言わなかった。
「年に1度だけ、東京で舞台をやっているときに奥さんが今井さんの舞台を見に来るんです。でも、そのときですら楽屋には顔を見せず、客席で芝居を見ると、そのままひっそりと帰ってしまうんですよ」(前出・舞台関係者)
会見でも、奥さんのことを聞かれたときに、
「きっとツラいと思う。でも“浮気するくらい元気になってよ”と言ってくれた」
こう答えていた。簡単に言えるセリフではないだろう。彼のことを本当によく理解しているからこそ、出てきたのではないだろうか。
「まさに“3歩下がってついてくる”感じの方ですよ。献身的な古きよき日本の女性といいますかね。余計なことは決して話しませんし、変に近寄ってくることもない」(前出・今井さんの知人)