「えっ、そんなひどい事件がここであったんですか」

 と近辺の若い店員たちは口をそろえる。東京・JR池袋駅東口のサンシャイン通りは、ひときわ人通りが多い場所。ゲームセンターや飲食店、靴店、洋服店などがひしめきあっているが、店舗の入れ替わりは激しく、16年前の事件を覚えている人はほとんどいない。

 某店の店長だけが、

「当時大学生だったので覚えています。前任の店長は"いきなり血まみれの人が助けを求めて店に飛び込んできて驚いた"と言っていましたね」

 と話す程度だった。

 事件は’99年9月、池袋の東急ハンズ前で起きた。直前まで新聞販売店に勤めていた当時23歳の造田博死刑囚が無差別に「ウォーッ」と包丁と金づちを振り回し、女性2人が死亡、6人の重軽傷者が出た。

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世の中を逆恨みした造田死刑囚

 造田死刑囚は岡山県の出身で、県内有数の進学高校に在学中、両親に見捨てられた過去があった。事件発生当時、同死刑囚の親族は、「両親がギャンブルに溺れて多額の借金をつくり、取り立てから逃れるため息子の博を置き去りにして、夜逃げしたんです。最後は米びつも底をつき、ひどい状態になって退学したのです」と話した。

 造田死刑囚は、大学生だった兄のもとへ身を寄せ、職を転々としながら東京にたどり着く。自分とは違って幸せそうに見える赤の他人に向かって「むかついた」という身勝手きわまりない犯行だった。

 ’12年、最高裁で死刑判決が下ったが、いまも再審を請求中。事件の影響で何か変化はあったのだろうか─。

「1階は催しものをやっているので、警備員は常時置いていますが、事件の影響というわけではないですね。ああいった事件は突発的なものなので」(東急ハンズ広報担当)

 池袋事件の3週間後、JR下関駅で駅構内に車を乗り入れて通行人をひき殺す通り魔事件が発生した。

 犯人は供述の中で、

「池袋の通り魔を意識した。刃物では大量には殺せないので、車にした」

 と話している。下関事件の犯人は’07年に最高裁で死刑が確定し、’12年に刑が執行されている。

 池袋事件以降に起こった主な通り魔事件は以下にある表のとおり。

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 レッサーパンダ帽男は’05年に無期懲役。世間を震撼させた大阪教育大附属池田小事件の犯人は、「早く死刑にしてくれ」と言い放ち、死刑確定の翌’04年に執行された。土浦連続殺傷事件の犯人は’13 年に死刑執行。秋葉原通り魔事件の犯人は’14 年に死刑が確定。マツダ本社工場連続殺傷事件の犯人は’13年に無期懲役になっている。

 こうした通り魔事件の特徴について、犯罪心理学に詳しい新潟青陵大学・碓井真史教授は「一発逆転して、馬鹿にしてきた人や幸せな人たちに、自分の偉大さを見せつけようとする傾向がある」と指摘する。

 いつ、どこで発生するかわからないので、対処のしようがないという。意外に優秀な人が多いのも特徴のひとつ。

「だからこそ、こんなはずではなかったという思いが根底にある。それから、事実かどうかは別にして、犯人には愛する親から見放されたという思いがあることが多い」(同教授)

 造田死刑囚を捨てた両親は事件後、被害者への謝罪などで名乗り出ることはなかった。事件を知らないはずはない。わが子の死刑判決をどう受け止めているのだろうか。