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  “走る爆弾娘”と異名をとったオウム真理教の元信者・菊地直子被告が11月27日、東京・小菅の東京拘置所から釈放された。

 薄いグレーのセーターにパンツ、サンダル姿で、ゆったりとルーズ感のある渋いピンク色のインナーを合わせていた。目深にかぶった帽子からはポニーテールの髪がのぞいた。

 オウムが1995年に起こした都庁小包爆弾事件で爆薬の原料を運んだとして、殺人未遂幇助罪などに問われた東京高裁の控訴審で同日、懲役5年とした1審判決が破棄され、逆転無罪が言い渡された。

 特別指名手配犯として17年にわたる逃亡生活を続けたのに、こんなにもあっさりと釈放されるのか。

「刑事訴訟法345条により、無罪の裁判の告知があったときは勾留状はその効力を失います。つまり法律上、当然に釈放されます」(東京高裁)

 司法判断がひっくり返ったことについて、全国紙社会部記者は「教団の下っ端にすぎなかったことが大きい」として次のように話す。

「危険な薬品を運んだことは認めていたが、人を殺害するテロ行為に使われるとは思わなかったと無罪を主張していた。末端信者として教団の指示に従うしかない立場にあり、高裁は犯行計画を察知するのは無理と認めた」

 拘束を解かれた菊地被告はどこで人生をやり直すのか。逃亡生活中は全国を転々とし、神奈川県相模原市の古民家で男性Aさんと暮らしていた。偽名は櫻井千鶴子。Aさんとは職場で知り合った。

 プロポーズを断るために“オウムの菊地”と明かしても求愛は変わらず、同居していた元オウムの高橋克也被告(57=無期懲役判決で控訴中)を裏切って夜逃げした。写真館でウエディングドレス姿の記念写真を撮影するなど逮捕まで約5年3か月、同棲した。

 菊地被告は2012年6月の逮捕当時、逃げ続けた理由を「Aさんと愛し合うようになり、生活を変えたくなかった」と話している。

 Aさんは'12年11月に犯人隠匿で執行猶予付き有罪判決を受けすでに自由の身にある。Aさんは“愛の巣”だった古民家の大家さんを訪ね、迷惑をかけたことを詫びた。

「櫻井さん(菊地被告)がパジャマ代わりにしていたフリースの上下を差し入れしたことがあるんです。冬の拘置所は寒いっていうから。謝罪に来たAさんは、涙ぐみながら“差し入れありがとうございました。あの人は冷え症だから……”と頭を下げました」

 『週刊女性』の当時の取材に対し、大家の女性は語っている。Aさんは克也被告に対し、“口止め料300万円”を要求したことを法廷で追及されている。 菊地被告は知らなかったことだから不信感はあるはず。

 しかし、Aさんは法廷で菊地被告との今後について、「簡単には離れられない。ちょっと考えたいです」とも述べている。はたして、元サヤに収まる日は来るのだろうか。