芸能 2024/12/21 戦後を駆け抜けた歌手・加藤登紀子「新しい命と生きていく」茨の道だった獄中結婚、80年の人生を振り返る 歌手アーティスト女優人間ドキュメント 印刷 [写真 1/12枚目] 歌手・加藤登紀子(80)撮影/佐藤靖彦 [写真 2/12枚目] '60年に新宿へ移転した「スンガリー」。店内には世界中の音楽が流れ、登紀子が音楽を好きになるきっかけにもなった [写真 3/12枚目] '44年、ハルビンで撮影した家族写真。長男の幹夫、姉の幸子、写真右の母親・淑子に抱かれているのが登紀子 [写真 4/12枚目] '62年、登紀子が東京大学文学部へ進学時に撮影された家族写真。演劇研究会に入ろうとするくらい演劇好きだった [写真 5/12枚目] 東大在学中の'65年、『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝。ゼミ以外は学校へ行かず、銀座のシャンソンの殿堂「銀巴里」に出演も [写真 6/12枚目] レコード会社の社長には「ヒットが出なかったらディレクターにでもなって」と言われたデビュー当時 [写真 7/12枚目] 「私の一目惚れでした」と登紀子がノロけるのは、夫の故・藤本敏夫さん。'02年に肝臓がんのため死去。58歳だった [写真 8/12枚目] 昔のことを、まるで昨日のことのように話す。その話術は、聞く人すべてを惹きつける 撮影/佐藤靖彦 [写真 9/12枚目] 80歳を超えて、ますます活動的に。この日も取材の後、福岡でのコンサートのために東京を飛びたった 撮影/佐藤靖彦 [写真 10/12枚目] 「分断されている人たちをつなげたい」。歌の力を信じて、登紀子は今日もステージに立ち続ける 撮影/佐藤靖彦 [写真 11/12枚目] ラトビアの子守唄を原曲としたロシア語の歌謡曲『百万本のバラ』。登紀子は日本語で歌い自身の代表曲に [写真 12/12枚目] 東大在学中の'65年、『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝。ゼミ以外は学校へ行かず、銀座のシャンソンの殿堂「銀巴里」に出演も この写真の記事へ戻る