数十年ぶりのオーガズムで得たものは「静寂」
帝国ホテルでの情事から10日後、再び出張で東京にやってきた健介は、紗香にまた会おうと連絡してきた。健介が予約し待ち合わせの場所になったのは、東京都内のヒルトン系列のホテルであった。健介は紗香と会うなり、愛おしそうに抱きしめた。
「この前会った時は、ルームサービスで悪かったね。今日は、なんでも、食べたいものを言ってね。ホテルの鉄板焼きとか何でもいいよ」
しかし、前回の高価なホテルでの宿泊や、ルームサービスのもてなしに申し訳ないと思った紗香は、外で安い焼き肉を食べることを提案し、その後にホテルにチェックインした。
紗香は、ずっと気になっていたことをおもむろに健介に問いただした。自分がセフレのような扱いになるのは嫌だと感じていたからだ。
「“これから私と、付き合う気があるの? これからのこと、覚悟してる?”と聞いたら、“そうだね。ちゃんと覚悟はあるよ”と健介さんが言ったんです。あぁ、良かったと安堵しました。会ったらやっぱり、とても優しいんですよ」
健介との2回目のセックスで、何十年かぶりに紗香は、何度もオーガズムに達した。初回は、ガチガチに緊張していて、イクどころではなかったのだ。
健介とのセックスで感じたのは、ズバリ、一言で言うと、精神の安定――。
これまでの家庭生活のイライラがなくなり、水を打ったような静けさを取り戻すのを感じた。それは、風呂上がりにホッとするような感覚に近いという。不倫すると、精神が不安定になると思っていたが、むしろ真逆なのが、新鮮な感覚でもあった。
「彼とセックスして、家に帰ると、イライラ感が何十年ぶりになくなっていることに気づいたんです。不倫が倫理的にどうかは置いておいて、人間って精神と身体のバランスが大事なんだなと思いました。そこは嘘をつけないんだなと。
健介さんとセックスした後は、すごく気持ちが落ち着いた。姑や夫とのことで、常に耳元がザワザワしたり、気持ちがささくれ立っていたんです。でも、オーガズムを得た後は、一気にシーンと落ち着いた感じ。京都の苔寺に行ったような感覚になったのが、自分でも本当に意外でしたね」
この人と結婚していたら、夫とは違って、今もずっと愛のあるセックスをするような間柄だったはず――、紗香はそう確信した。夫婦でどのくらいの頻度でセックスする? 紗香はじゃれ合いながら、健介にカマをかけた。健介の返事は、「そんなに多くはないなぁ」。
この人、今も奥さんとセックスしてるんだ――。顔には出さなかったが、そう思うと無性に腹立たしくなった。
「奥さんと健介さんがヤッてるのを想像すると、すごく嫌でしたね。奥さんだから、仕方ないという気持ちもありますけど。だから不安になって、私って何? どういう存在? と問いただしたら、健介さんは、“支えになってくれる人”と答えてくれた」
奥さんとセックスして、ズルい――、そう一瞬思ったが、それは自分も同じだと気づいた紗香は、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「不倫で、誰も知らない関係だから燃えるという気持ちと、どこか心の奥底で、私たちが付き合ってることを誰かに認めてほしいという気持ちが同居しているんです。
ホテルに泊まったり、ごはんに行ったりすると、夫婦だと思われたりする。それは実はうれしいんです。奥さんは? とか、旦那様は? とか、店員に聞かれたりすると、その時、一瞬、沈黙が走って、健介さんの顔を見れないけど(笑)、ドキドキしてうれしいですね。不倫って、社会的に認められないからこそ刺激があるのに、矛盾したものを望むなんて、ちょっとおかしいですよね」
紗香は、そう言うと困ったような顔をして笑った。こそこそとホテルで会うだけじゃなく、いつか、普通の恋人同士のようなデートがしたい――。そんな「矛盾した」思いを募らせた紗香は、普通のデートを健介におねだりした。
「今度丸一日休んで、どこかに遠出するか」