「絵理子ちゃんの両親が代機さんを“ヒモ”扱いしていたようで、結婚に反対し続けていたといいます。でも、ベビーシッターのように育児を任せっきりにしていたら、彼だって仕事をする時間もありませんよ」(今井家の知人)
そんな生活が8年ほど続いて長男が9歳になったとき、父子は突然、別れを迎える。今井議員が「出て行ってほしい」と、冨重氏に同棲生活の解消を突きつけたのだとか。
「理由は絵理子ちゃんにほかに好きな人ができたから。何でもインターネットで知り合った、自称“放送作家”のイケメンだったようですけど、案の定3か月で別れたみたいです。すると両親が育児に追われ始めるや否や、代機さんに“戻ってきてほしい”と頼んでいたそうです」(同・今井家の知人)
破局してからも、たびたび彼を家に呼んでいたという今井議員。それは復縁を望んでいたからではなかった。
「彼が管理していた、今井の映像や写真のデータを持ってこさせていたんです。
そのたびにRくんは“パパが帰ってきた!”と大喜びするのですが、すぐに出ていってしまう。
“もう行っちゃうの?”と寂しそうにしていたそうです。そしていつの間にか、見知らぬ男性が自宅に出入りするようになったと」(前出・芸能プロマネージャー)
新しい男に引き離された“息子”との絆
'15年の参議院議員選挙で、今井議員が自民党の目玉候補として担ぎ出された際、同級生A氏との半同棲愛を『週刊女性』が報じていた。このとき、冨重氏はもう自宅を訪れることはできず、長男とも会えなくなってしまった。
今井の奔放な恋愛遍歴により、父子は2度も引き離されたというわけだ。
「聴覚障害のある子がぶつかるという、“9歳の壁”をとても心配したまま別れることになりました。
これは9歳を迎えると、“自分が周囲とは違う”“健常ではない”ことを認識し始めて悩んでしまうということなんです。
真摯にお子さんと向き合っていた彼らしい最後でしたね」(同・芸能プロマネージャー)
こうして“息子”への思いを引きずりながらも、以前より仕事を思案していたというフィリピンに旅立った冨重氏。
記者は当人に話を聞くべく、同地を訪れたのだった。
「たしかにいちばん長い付き合いでしたし、(同棲も)はい……そうですね。ただ、フラレて別れたのではありません。
事業で移り住んで1年ほどですが、5年くらい前から海外を行き来するようになって各地で障がいのある方たちの写真を撮るようになったんです。その中で、フィリピンに行きたい気持ちが強くなって別れることになりました」
今井議員との交際を経て、障害者への理解を広めようとしたのがきっかけで、痴情のもつれはなかったと話す。
「彼女はオンとオフがはっきりしているんです。(新幹線で寝ていたことについて)移動で睡眠をとるのは、忙しかったアイドル時代のクセでしょう。本当は一生懸命で、Rくんのことを大事にしていますし、障害者のことをしっかり考えています。政治家としてがんばってほしい」
彼女との関係を饒舌に語る一方で、Rくんの話になると途端に言葉に詰まることも。
「意思疎通ができないこともありましたし、表情を読み取ったり……。実の息子でもないですし……、僕も親父がいないので……。でも、彼は強いから大丈夫ですよ」
気持ちを落ち着かせるためか、取材の途中で何度もタバコを吸いに席をはずした。冨重氏が家を出てからRくんが寂しそうにしていたという話をすると、
「……そうですか。彼は気持ちをうまく伝えられないし、手話もまだそれほどうまくはありませんでした。もし本当に(寂しく)そんなふうに感じているのなら……」
徐々に“父の顔”を垣間見せ始めたのだった。
「耳が聞こえないぶん、目から物事の情報が入るんです。例えば牛丼屋に入れば“牛丼屋さんになりたい”、寿司屋では“寿司屋さんになりたい”と。いま、彼はどんな夢を見ていて、どういう道を進もうとしているのか、遠くから見守りたいですね」
今井議員には父親の分まで長男が歩む道をしっかりとそばで見守ってほしい。