嫁入りしてすぐ、社員研修を始める
新婚当初、「夫と離れているのが寂しい」という理由で、笹屋伊織の店頭で接客を始めた田丸さんだが、ほどなくして、お店のこと、従業員のことなど、さまざまなことが気になりはじめる。
「例えば、お釣り銭を渡すときのトレーもなくて、お金を手渡ししていました。これはよくないとすぐに主人にお願いして、竹で編んだような和風のトレーを用意しました。接客も気になりました。お見送りが中途半端だったり、口の利き方もちゃんとしていなかったり……。そこで、野村證券時代に習った接客マナー講習のマニュアルなどを参照しながら、笹屋伊織向けのマニュアルにアレンジして社員研修を始めました」
立ち方、おじぎや挨拶の仕方、言葉の使い方などの接遇マナーについて丁寧に教えていった。
夫・道哉氏は、当時の彼女の仕事ぶりについてこう話す。
「妻の実家が笹屋伊織で、僕が養子か!? と思うほど、お店のため、お客様のために一生懸命でした。あと、これは彼女の特技ですが、お客様の名前と顔を覚えるのが早い。しかも、かなりの人数を覚えられて、それぞれがよく購入するお菓子までインプットできる。ですから、何度も購入してくださるリピーターのお客様が来店すれば“〇〇様、いらっしゃいませ”と出迎えられるし、“いつも、〇〇をご購入いただき、ありがとうございます”などとお菓子の話もできる。おかげでファンがかなり増えたと思います」
田丸さんがよかれと思って実践したことは結果として笹屋伊織の改革につながるが、「お店の従業員は、嫁いで間もない嫁が言葉遣いについてあれこれ口出しするから“うざったい”と嫌われていたかもしれませんね」と笑う。
道哉氏は、田丸さんに対して「出すぎたまねをして……」と反発を感じたことはなかったのだろうか。
「ありませんでした。むしろ、妻がいろんなアイデアを出してくれたおかげで、変えなければならないところが明確になりました。300年以上続いたことには誇りを持っていますが、そこにあぐらをかいていたら、老舗ではなく、ただの古い店になってしまう。日々進化するには、彼女の協力は欠かせませんでした」
京都流コミュニケーションに戸惑う
夫婦二人三脚で笹屋伊織の立て直しを図っていた田丸さんだったが、「嫁いだころは戸惑うことも多かった」と振り返る。特に、京都人の奥ゆかしさや婉曲(えんきょく)な表現が、大阪出身で白黒はっきりさせたいタイプだった田丸さんには「何を考えているのかわかりにくい」と感じることがあったという。
今でも忘れられないのが、お嫁に来たばかりのころ、取引先の社長がお中元を直接自宅まで届けてくれたときのこと。田丸さんが応対し、義母に「〇〇様からお中元をいただきました」と言うと、「まさか、それ、1回で受け取ってへんやろね? 京都では人さんからモノもらわはるときは、3回は断ってや」と言われたのだ。
「もらうことがわかっているのに断るなんて……と思いましたが、家まで来てくれたのに1回で帰すのはあまりに愛想がない。ありがとうございますとお礼したあと、“こちらのほうがお世話になってますさかい、そんなお心遣いはけっこうです”と3回断れば、3回お礼ができ、その間に、“最近、調子はどうですか?”などと雑談もできる。断るのは、コミュニケーションを円滑にするための京都人特有の阿吽(あうん)の呼吸だと教わりました」
お客様からお手紙をいただき「返事はいらない」と書いてあったため、そのとおりにしたら叱られたこともあるし、店頭に贈答用の京菓子を買いに来たご近所のお客様に「いったん帰るし、ゆっくりでいい」と言われたので、後回しにして別な作業をしていたら、すぐに取りに来て焦った……など、額面どおりに受け取って失敗したことは何度もあった。こんなふうに“京都の洗礼”を浴びつつも、お店を切り盛りしていった。