歌手・ニトリアキオも妥協なし!

 似鳥さんにはニトリアキオという演歌歌手の顔もある。’13年には歌手・川中美幸さんとのデュエット曲『めおと桜』でCDデビューも果たした。もともと似鳥さんは歌手を志し、大学時代は夜のクラブで歌い生活費を稼いでいたという経験を持つ。

「ホリプロならぬトリプロの所属歌手なんです。トリプロとはニトリ社長の白井(俊之)さんが冗談で事務所の名前をつけてくれたんですが」

 そう似鳥さんはおどける。

『めおと桜』をつくった、石川さゆりさんの『天城越え』などの作曲で知られる弦哲也さん(70)は、歌手・ニトリアキオをこう語る。

「似鳥さんが飛行機の中でスカウトした杉山さんは僕の中学の先輩でした。“今ニトリにいるんだけど、社長(その当時の)が歌が好きでね”と紹介され、一緒に食事やカラオケに行くようになりました。お金持ちの道楽的に歌っている人はたくさんいますが、似鳥さんはそういう自己満足型の人ではありません。自分の歌をどういう人が喜んでくれるかとか、こういう思いを伝えたいとか、常に考えている人なんです」

作曲家・弦哲也さんと演歌歌手・ニトリアキオとしてステージ上で
作曲家・弦哲也さんと演歌歌手・ニトリアキオとしてステージ上で
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 テイチクレコードの創立80周年に看板歌手が異色の人とデュエットをするという企画があり、弦さんは川中さんの相手に似鳥さんを推薦した。

「『めおと桜』は、つらいことや悲しいことがあっても、2人で頑張っていればいつか幸せな花が咲くという夫婦愛をテーマにした作品です。似鳥さんも糟糠の妻、百百代さんがいて今があるわけで、そのテーマもぴったりでした。大物歌手の前でも堂々と歌っていましたよ」

 2作目にリリースした『ススキノ浪漫』は、景気が冷え込んでいる故郷、北海道を応援したいという似鳥さんの気持ちが込められている。

「石川さゆりさんや五木ひろしさんといった一流の歌手に曲をつくるときも、4回も5回もつくり直すことはないんですが、似鳥さんはこういう思いを伝えたいのでお願いしますと言って、自分が納得するまで歌詞やキーの高さなど細部を確認するんです」

 レッスン時間も分刻みのスケジュールの中から捻出しているという。

「レコーディングでも、僕らはある程度までいったらOKを出すんですが、“妥協してる顔は好きじゃないです、本当にOKになるまで歌わせてください”と何回もやり直します」

 それは似鳥さんがソファなどの商品開発中に、何百万回とスプリングに重りを落としてテストするのと精神は一緒で、強いプロ根性に感服するという。また、弦さんが感心するのは似鳥流「人と人との交わり方」──。

「似鳥さんが主催するゴルフコンペやパーティーは日本の錚々たる企業人が集まるんですが、みんな、少年の顔になっちゃうんですよ! 周囲を幸せな気分にさせる天才ですね!」

「内助の功」は「ほったらかし」

「孫悟空と観音様」

 似鳥さんと百百代さんをそう喩えるのは、前出の日本証券業協会会長の鈴木さんだ。

似鳥さんは確かにスゴイ人だけど、何といってもスゴイのは奥さんですよ。これはみんなが言うけどね。似鳥さんはやりたいことをして、ワーワー遊んだりしていてもね、結局、百百代さんの手のひらの上で動いているにすぎないという(笑)」

 似鳥さんは現在、東京に単身赴任中だが、北海道で暮らす百百代さんにこう感謝の気持ちを表している。

今の私自身があるのもニトリがあるのも、うちの家内のおかげだと思っています。それは間違いない。2号店出店後、倒産の危機に陥ったときも、私がいるから大丈夫だと言って、死に物狂いで働いてくれた。アゲマンですね。感謝しかないです」

 似鳥さんは百百代さんとは苦楽をともにしてきたという一体感があり、何より人生の目的が一緒ということがありがたいと話す。今も百百代さんがくれる身内ならではのアドバイスがとても参考になるそうだ。

ときには思いやりが足りないと怒られることもあります。そんなときは、気がつかなくて悪かったと素直に謝るんです。“何度も同じこと言われてるくせに”と言われるけど、ごめんね、年で忘れちゃうんだと(笑)。夫婦は明るいことが大事かな

百百代さんと毎年、国内と海外を旅する
百百代さんと毎年、国内と海外を旅する

 経営にも夫婦間にも「ロマンとビジョン」「明るい哲学」が必要なのだそうだ。

 似鳥さんの成功は「内助の功」なくしては語れない。当の百百代さんは何がいちばん大きかったと感じているのか。

ほっといただけですよ。うるさく言わないだけでした。今考えるとそれがよかったのかなと思います。それは肝に銘じたわけでなく、どこか行って遊んできたんでしょとか思いつきもしなかったから、幸せだったのね」

 最近になって「子どもの誕生日やクリスマスにいなかったけど、何していたの?」と似鳥さんに尋ねたところ、「覚えていない」と返されたそうだ。

「まぁ時効かなと思いました。気がついたら夫が自分で育っていた。会社も大きくなっていたと。若いころは働かなかったから、今楽しくて仕方ないんじゃないかしら? 仕事も楽しみも人の3倍生きていると思いますよ。あとは自由におやりと。たまには札幌に仕事以外で来てほしいなと思いますけど