重度の脳性麻痺で介護の欠かせない娘とうつと認知症を併発してしまった遠く離れて暮らす自分の母親、母の命か? 娘の命か? どうすることもできない選択を迫られた脇谷みどりさんは、母の命を守るため郵便局に走った──。

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「娘が死んでもいいから母を助けるか。娘を助けなあかんから母を放っておくか」

 ある日突然、童話作家の脇谷みどりさん(63)は究極の選択を迫られ、胸が張り裂けそうになった。

 1995年4月、郷里の大分県に住む父から、当時67歳の母がうつ病と認知症状を併発、「死にたい」と泣いてばかりいるから帰って来てほしいと電話があった。

 だが、脇谷さんの長女かのこさん(35)は脳性麻痺で重度の障がいがある。寝たきりの娘を置いて、兵庫県西宮市の自宅を離れられない。

「そんなん、選べないでしょう。両方助けるにはどうすればいいか。必死に考えました。電話を毎日、長時間かけたら1か月に何万円もかかって、うちが食べていけんし。

 それで考えついたのが、毎日、葉書を出して、とにかく笑かしてみようと。効果があるか確信も何もなかったけど、葉書なら月に1500円ですから(笑)

 明るい口調でさらりと話すが、その葉書にはありったけの想いを込めた。実家のポストに毎日、11時に届く葉書を待っていてほしい。そして、次の葉書が届くまで生きていてほしい──。

 

 大変だったのは、くすっと笑えるネタ探しだ。娘を自宅で介護する脇谷さんの生活圏は狭い。リハビリや買い物で外出するときはメモ帳を持参して、周囲の人を観察した。

 ベビーカーから勝手に脱出してニッと笑う幼児。ビール缶の被り物を着て元気に呼び込む販売員。重たいジュースの箱をヒョイと抱えて電動車に乗るおばあちゃん……。

 カラフルなイラストを交えて生き生きとつづった。

「なにか面白いことない?」

 脇谷さんは知り合いに会うたびに聞いた。

 かのこさんの2歳上の長男正嗣さん(37)は当時、高校生。困っている母のために多くのネタを提供したそうだ。

「学校にこんな先生がいるとか、電車のなかでこんな人を見たとか、たわいもないことをふくらませて、面白おかしく親子でしゃべるというのが日常やったですね。普通なら母親とはあまり話さない年ごろですが、うちは団地で家が狭いので、テレビの横にかのこが寝ていて、母も側にいたので、自然と会話してました。ちょうど通学路にポストがあったので、毎朝、投かんするのは僕の役目でした。

 ただ、なんで急に葉書を書き始めたのかは、絶対に教えてくれなかったです

 大分の母の状態は一進一退を繰り返し、徘徊して夜の海に入り命を落としかけたこともあった。だが、「笑い」は凍りついた母の心をゆっくり解かしていき、4年目には抗うつ剤が必要ないほど回復した。それでも、急に心の支えがなくなると症状が悪くなるかもしれないと聞き、その後も変わらずに書き続けた。

 最後の葉書を書いたのは2008年11月。大分を離れる決心をした両親を西宮に迎える3日前だった。