北海道第2の都市・旭川市。人口34万を擁する自然豊かなこの町で、竹内は’83年12月に誕生した。旭岳温泉で「湯元 湧駒荘」という温泉旅館を経営する一家に育った彼女は6つ上、4つ上の兄のいる末っ子。
物心ついたころから2人の兄の背中を追ってスキーを始め10歳の時に流行りだしたスノーボードにも興味を持った。五輪メダリストになる女の子ならすぐ滑れるようになって当然かと思いきや、意外にもそうではなく、最初はかなり苦労したようだ。
「旭川から近いキャンモアスキービレッジによく一緒に行ったんですが、スノーボードを始めたころは僕のほうがのみ込みが早く智香はなかなか滑れませんでしたね。スキーも3きょうだいで一番下手だったかな(笑)。
でも男ばっかりの中、必死についてくる妹だったので、スピードへの恐怖心がなくなり滑ることの楽しさに目覚めていったんでしょう」と次兄の崇さんは分析する。
竹内自身も「たとえて言うならスキーは車、スノーボードはバイク。遠心力をより強く感じられるのがスノーボードですし、楽しさは大きいですね。上達が難しいぶん余計にのめりこんだんだと思います」。知らず知らずのうちに新たな冬のスポーツの魅力に取り憑かれていった。
その後、旭川市立東明中学校に通っていた14歳の時に見た’98年長野五輪に刺激を受け、本格的に競技をスタートさせる。
スノーボード部があった地元の上川高校に進学して大会にも出場し始めたが、学業と競技の両立という学生特有の問題に直面する。それを「大変だ」と考えないのが竹内流。自ら通信制のクラーク記念高校への転校を決断し、高いレベルを追求できる環境を整えていったのだ。