どんぶりご飯でハングリーに育つ
菅原さんが生まれ育ったのは岩手県南部の水沢市(現・奥州市)。周囲は農家ばかりのなか、実家は2代続いて婿養子で、祖父は板金工、父は大工だった。
祖父母、両親、3歳下の弟の6人家族。なぜか家にはご飯茶碗がなく、みんなどんぶりでご飯を食べていた。
朝は具だくさんのみそ汁と漬物が定番。みそ汁にはだしを取った煮干しが丸ごと入っていた。煮干しも具のひとつだと思い、好きだったという菅原さん。みんなの分までもらって食べていた。
「出されたものを食え」
「余計なことは言うな」
両親から厳しく言われたのはこのふたつだ。
だからか、友人たちが「あれが食べたい、これは好き、これは嫌い」と話しているのを聞くと、何をわがまま言っているのと感じた。
ある日、小学校の友人の家に泊まりに行った。朝食に目玉焼きが出てきて驚くと、不思議がられた。
「“朝以外にいつ食べるの?”と(笑)。うちでは朝からおかずが出るなんて、そんなぜいたくはありえませんから。夜はおかずがあるけど量が少ないので、ご飯をたくさん食べるんです。
ああ、朝から鯨のステーキが出ることはありました。今思うと、いろいろ変でしたけど、大会でいっぱい食べられたのは、親の厳しい教育のおかげですね。何を食べても、“わー、美味しい”と感じられたので(笑)」
勉強では暗記が苦手だった。特に苦労したのは漢字だ。読書が好きで読むことはできたが、書けなかった。
「テスト前に100回は練習したけど、次の日になると忘れてしまう(笑)。例えば、冬という字は点々が2つあるけど、向きがわからなくなるんです。さぼってはいないのに、テストの点が悪いんですよ」
運動神経も悪く、ボールがうまく投げられない。発達障害の子どもは、調整する力が必要なボール投げが苦手なことが多く、菅原さんの息子も下手だという。
「私自身、たぶん何か失調していたんだと思うんですけど、発達障害なんて言葉も聞いたことがない時代だから、怒られてばっかり。あと、起立性低血圧で朝礼のたびに倒れて、それもイヤでした。本当に、何も楽しいことのない小学生時代でしたね」