明石家さんまと言えば、62歳になった今でもお笑い界の第一線で大活躍している国民的スタ―。衰えないセンスとパワーから「お笑い怪獣」とも言われるほどだ。そんなさんまをストイックに研究しているこの芸人も、ある意味、怪獣なのかもしれない。再現VTRなどでお馴染み、ほいけんただ。そんな彼のさんまへの思いや、ものまねのこだわりなど、普段口外していないエピソードを語ってもらった。
――まずは、ほいさんが明石家さんまさんのものまねを始めた経緯を教えてください。
ほいけんた(以下、ほい)「今から25年前、わたしはお笑い芸人として六本木のショーパブでステージに立っていました。
当時はMr.マリックさんがブレイクしていた時期で、そのパロディーコントをしていたんです。このときのマリックさんは、おそ松くんに出てくるイヤミのような髪型だったので、振り返るとイヤミになっているというボケをショーの中でやっていたんですよ。
だから当然、出っ歯を付けるじゃないですか。それで出っ歯をつけたら、あれっ、これさんまさんのお面に似てないか? と思ったわけです」
――そこから、さんまさんのものまねをやるようになったと。
ほい「ええ、ただそのころは喋りなんてできないから、顔マネだけなんですよ。形態模写のみでした。それで、当時、さんまさんが司会をしていたものまね番組『発表!日本ものまね大賞』に出たら、スポーツ紙やテレビ誌が、さんまさんとわたしのツーショットを面白がって扱ってくれて。これが、さんまさんとの初めての絡みでした」
――これが1993年の話。いまの状況を考えると、感慨深いものがありそうですね。その後は、どんどんオファーが増えてきたわけですか?
ほい「その後、所属していた芸能事務所が倒産してわたしはフリーランスになってしまうんですよ。それで、芸能界やマスメディアとの接点が途絶えてしまったんです」
当時はさんまの「喋り」ができなかった
一度は掴みかけたチャンスだが、不遇の時代も過ごしてきたというほい。しかし、司会やものまね以外にも、マジックやパントマイム、バルーンアートなどの「芸」を磨いて、全国を営業して回った。そして、彼が再び脚光を浴びるタイミングがーー。
ほい「たまたま、フジテレビのものまね番組『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』のオーディションを受けたんです。そのときは『アミダばばあの唄』を歌って、さんまさんとたけしさんのものまねをやりました。
それで紙でつくった出っ歯をつけていたら、その歯で思い出してくれたのか、“昔、その歯をつけてうちの番組に出ていたよね?”って、スタッフさんが覚えてくれていたんですよ。
“喋りはできないの?”って聞かれたんですけど、当時、関西弁の喋りはできなかったので、そのオーディションには落ちてしまいました」