酒量を制限しつつ仕事もし、普通の生活を送っているように見えるが、先のことを考えると、石井さんの心は揺らぐ。真夜中、不安と孤独に苛まれ、自殺予防支援の窓口『いのちの電話』にかけたこともあるそうだ。
みなし仮設を中心に支援を続ける『よか隊ネット』事務局長の土黒功司さんは、石井さんがかつて趣味でペーパークラフトを作っていたことを知り、再開するようすすめた。今も部屋にはサグラダファミリアや熊本城の見事な作品が飾ってある。
「みなし仮設は人とのつながりがどうしても希薄になるので、みなしに住む人たちの交流会を開くことにしました。石井さんにもペーパークラフトを出品してもらって」(土黒さん)
今年2月の交流会では、半年かけて作ったバイクを出品。みんなに見てもらい、うれしかったと石井さんは言う。
「目標があるとお酒を控える。このバイクを作らなければいけないと思えば、頑張るから」
本当はもっと人の役に立ちたい、と彼はつぶやいた。それが「生きる意味」なのかもしれないと─。
石井さんはあと1年、みなし仮設で暮らす。その後は災害公営住宅に移る予定だが、どの地域になるかは、まだわからない。
「今も週に1度は益城に買い物に行ってるんです。なじみの顔を見るとホッとする。できれば、また益城に住んで、あのころの人間関係を取り戻したい」
町を出て行く人もいれば、家を再建して戻る人もいる。そして自分の行く末がどうなるか、わからない人もいる。
仮設住宅暮らしの苦悩
空港から車で10分。県内でもっとも大きな『テクノ仮設団地』がある。ピーク時には516世帯が入居していたが、今は415世帯に減った。112世帯が独居で、そのうち65歳以上の高齢者は67世帯である。
平日の午前中、敷地内を歩くと、ひっそり静まりかえっていた。ひと組の高齢者夫婦が互いを支え合うように外をゆっくり散歩しているだけだ。
この仮設を一昨年7月から見守ってきたのは、訪問ボランティアナースの会『キャンナス熊本』だ。代表の山本智恵子さんは、2年弱で被災者たちの気持ちが変化してきたと話す。
「最初は地震のショックが抜けず、不安と悲しみに暮れる方がほとんどでした。失ったものの大きさに茫然自失という状態。
もともと一戸建てに住んでいた方が多いので、集合住宅に住むこと自体に抵抗があったようで“隣の生活音が気になる”との不満も出てきました。
ただ、壁が薄いのはどうしようもないので、少しすると住居への不満はおさまってきました」
そうなると、次に神経質になるのは人間関係である。