主人公は、夫に先立たれ子どもとは疎遠でひとり暮らしを送る74歳の桃子さん。彼女の内なる声を通し、新たなる老いの境地を描いた話題作が若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』。63歳で第54回文藝賞と第158回芥川賞を受賞した本作は、若竹さんのデビュー作でもある。

悲しみを客観視する視点によって描いた

ひとりのおばあさんの経験を通して、その人が考えたり感じたりした“おばあさんの哲学”を書こうと思ったんです。1964年の東京オリンピックのころから何らかのきっかけで人生が動き出すような人を描いてみたい。そう考えていたこともあり、1940年生まれで現在は74歳の桃子さんという女性像が自然とできあがりました」

 主人公の桃子さんの生活は自宅でお茶を飲んだり、病院やお墓参りに出かけたりとごくごく普通。にもかかわらず、物語からは濃厚な人間像が伝わってくる。

「例えば、他人に居丈高にふるまっている人が実は小心者だったりとか、人間はいろいろな矛盾を抱えながらできあがっている存在だと思うんです。この物語の桃子さんは、はたからみればお茶を飲んでいるだけなのですが、脳内ではいろいろな桃子さんによって豊かな会話が繰り広げられているんです

 また、桃子さんの内面から湧き上がる東北弁も印象深い。

「私は岩手県の遠野で生まれ育ったので、東北弁はいちばん自分に正直な言葉なんです。心の底にある肉声を伝えるには、標準語よりも東北弁のほうが適していると思いました」

 幼いころから小説家になりたかったという若竹さんだが、2009年にご主人が急逝したことをきっかけに、本格的に小説を書きはじめた。

「当初は、悲しいという感情を悲しいままで書いていました。でも、この小説を書くときには、悲しんでいる私を慰める気持ちになったり、かと思うと前のめりになっている自分をくすっと笑ったりする、もうひとりの私がいました。自分を客観視できる視点ができあがったからこそ、この小説を書けたのだと思っています。この作品はすごく楽しく筆を進めることができました

 振り返ってみると、小説に向かうことが自身のリハビリにもなっていたという。

「悲しみのあまり家に閉じこもってばかりいたら、回復するまでにかなり時間がかかっていたと思います。でも、小説を書くことで新たな目標や仲間ができました。思い切って新しい世界に飛び込んで本当によかったです」