民生委員「関わらないでほしいと言われている」
翌日、幸子さんの情報を集めようと、わたしたちは市役所を訪ねた。ところが、個人情報だからと、受付でそっけない返事をされ頭にきた。あきらめずに福祉課に行く。事情を話すと幸子さんの民生委員の連絡先と名前を教えてくれた。若くて話のわかる男性職員だった。この人は出世する。
すぐに民生委員に電話すると、これまた感じのいいおじさんが出て、ヘルパーが入っていること、幸子さんの世話している人がいること、その人から余計なことはしないでくれと釘をさされていることなど、話してくれた。葬式もこちらでやるので、関わらないでほしいと言われているそうだ。なので、見回りもしていないということだった。
やっぱりね。これは事件のにおいがするが、これも幸子さんが選んだ人生だ。誰も口出しはできまい。ただ、幸子さんが嫌っていた孤独死だけは避けられそうだ。その誰かさんが毎日来ているようなので、死後すぐに発見され、腐敗してからの発見は免れるからだ。
生きてきた延長上に、死はある
ひとり身の人の中には、孤独死は惨めだとか、残った人に迷惑をかけたくないから孤独死だけは避けたいとか、最期は人知れずではなく誰かに看取ってほしいとか、わけのわからないことを言っている人が多いが、「人はその人が生きてきたように死ぬ」から大丈夫よと、わたしは言ってさしあげたい。
こう死にたい、ああ死にたいと思うのは自由だが、貝のように閉ざして生きてきた人はそのように。社会のために生きてきた人はそのように。友達を大切にしてきた人はそのように。生きてきた延長上に、死はあるのではないだろうか。となると、今をどう生きているかが問われることになる。
幸子さんの91歳の姿は、それまでの生き方を表しているようにわたしには見えた。幸せか不幸かは知らない。人の人生を自分の価値観で判断するのは失礼なので、そのコメントは控える。自分が幸せならそれでいいことだ。
わたしたちの残り時間は限られている。急降下中の70のわたしはいつ墜落してもいい飛行機と同じ状態だ。やり残したことはないか。毎日、そのことばかり考えている。うちのちょい悪の猫を使ってインスタにも挑戦しようかなんてね。
まだ若いあなたは、「この程度でいいわ」なんて言ってないで、55歳のピークを目指して、機首を上げエンジン全開で羽ばたいてください。よろしくね。
<プロフィール>
松原惇子(まつばら・じゅんこ)
1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。39歳のとき『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。3作目の『クロワッサン症候群』はベストセラーとなり流行語に。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている。NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。著書に『「ひとりの老後」はこわくない』(PHP文庫)、『老後ひとりぼっち』(SB新書)など多数。