3500キロの旅を終えて

 さて7月23日のがんサバイバー支援ウォークの最終日。同センター3階の講堂で、完歩を祝う会が始まった。

北海道がんセンターでゴールテープを切った瞬間。ドクターや看護師、点滴スタンドを持った患者さんまで、数百人がゴールを祝した 撮影/森田晃博
北海道がんセンターでゴールテープを切った瞬間。ドクターや看護師、点滴スタンドを持った患者さんまで、数百人がゴールを祝した 撮影/森田晃博
【写真】12歳年上妻・昭子さんとの仲睦まじい様子など(全9枚)

 自身も胃がんのサバイバーの高橋はるみ北海道知事が花束を手にお祝いの言葉を贈る。

がんを予防し、がん医療の充実をはかり、共生することは道民と国民の願いです。垣添会長は自らのパワーでそれを訴えてこられました」

 激励の言葉に応えるように、垣添さんの力強い言葉が響く。

がんになると、多くの人が孤立感や再発の恐怖に怯(おび)えます。こうした人たちを支えるためにも、がん患者さんがともに交流し、支え合うコミュニティーであるがんサバイバー・クラブをぜひ国民運動に。

 がんを隠すのもやめましょう。がんは特別ではなく、誰でもかかる病気です。10年後にはがんのイメージが変わっていることを願っています」

 自身の腎臓と大腸がんも、ウォークの妨げになるほど特別な病ではないという考えだ。

 こんな言葉とたくましさに、前出の下村さんは、

「先生のがんに関する考えは、患者に勇気を与えてくれます。本当に尊敬できる先生です」

 患者会『グループ・ネクサス・ジャパン』メンバーで、北海道がん対策推進委員会特別委員である悪性リンパ腫サバイバーの佐野英昭さん(62)は、

「今日は最後の2キロぐらいご一緒しましたが、素晴らしい足取りで。私、趣味はフィットネスなんですが、10数年後、こんな元気でいられるかなあと(笑)。垣添先生のように社会的影響力のあるサバイバーがこうして頑張っておられる。患者会の私たちも、先生を見習って頑張らねば」

 乳がんのサバイバーである北野克予さん(63)も、

「垣添先生ががんサバイバーとして医療者として、そしてがんで家族を亡くされた家族として、がん共生に強い思いを持ってウォークをされると知って参加しました。ラストの2キロでしたけどね(笑)。がん患者って疎外感を感じるもの。今日、参加したことで私たちは孤独ではない、つながっていると感じられました。参加してよかったです」

 さまざまな人に希望と勇気を与えて、垣添さんのがんサバイバー支援ウォーク3500キロの旅は終わった。

「親切な人との出会いに力をもらった」と感謝を述べ、支援活動の新たなスタートを切った 撮影/森田晃博
「親切な人との出会いに力をもらった」と感謝を述べ、支援活動の新たなスタートを切った 撮影/森田晃博

 今も対がん協会での仕事を終えて自宅に帰ると、遺影の昭子さんとこころの中で対話を続けていると言う垣添さん。帰宅後はきっと無事、完歩の報告をしたことだろう。

 前出・渡辺さんが、垣添さんのこんな姿を証言している。

「先生と一緒に山に行くと、頂上でわれわれに背を向けて、遠くを眺めているような感じなんです。

 何回目かの登山でわかったんですけれど、先生、奥さまの写真を毎回懐に入れて持ってきて、写真に景色を見せていらした。それがわかってからは、“遠慮しないでたくさん見せてあげてください”と。以来、写真と一緒に景色を楽しんでいます」

 生きるということは、もしかしたら貝が真珠を作るようなことなのかもしれない。

 偶然入った砂粒などが核になり、その痛みを和らげようと貝が出した分泌物が固まり、幾重にも重なったものが、天然真珠のあの美しい光沢だと聞く。

 苦しかった日々が去り、友との楽しいひとときや、やり遂げた満足感が積み重なっても、こころの中の核が消え去ることは、決してない。

 だが、それでも積み重なった煌(きら)めきが、見る人に癒しや勇気を与えることはできるのだ──。

(取材・文/千羽ひとみ 撮影/森田晃博)