NHKやドラマの音楽を手がける

 スタジオも用意してくれた広告代理店と契約を結んだ2人は、ドキュメンタリー番組『法隆寺』(1994年)をきっかけにNHKにも進出していく。

 相棒の小川さんは、このときの黒沢に舌を巻いた。

「NHKの方と初めて食事をする機会があり、その席でプロデューサーの口から来月『法隆寺』の番組があることを知った黒沢さんは翌朝、新幹線に飛び乗り法隆寺へ。曲想を練り、2週間後にはデモテープを作り採用が決まりました。

 この早業。チャンスがきたら絶対逃さない。彼には何度も助けられましたね」

 2人で約束していた10年がたつころには、音楽の仕事も忙しくなり、寝る暇もないほどになっていた。

 独立すると稲垣吾郎主演の『陰陽師』や仲間由紀恵主演の『テンペスト』といったドラマの世界でも音楽を手がけるように。

 西暦2000年を前に、ウインドウズ98が普及するころ、ネットで動画を配信する時代がすぐそこまでやってきていた。再びめぐってきたチャンスを目の前にして、

──何か僕にしかできない題材があるはずだ。

 そんな思いでネットサーフィンをしていると、ある日、心揺さぶる2文字が目に飛び込んできた。

「調べ物をしていて偶然『廃墟』の2文字を見つけたとき、僕は心がザワつきました。今では何十万件とヒットする廃墟も、当時は数ページしか出てこない。とても驚いたことを覚えています」

──しかし、待てよ。

 発想を切り替えた黒沢は、当時の心境をこう語る。

「音楽のときも僕は当時、決して主流ではなかったコンピューターミュージックに惹かれて、結果的に活路を見いだしました。まだあまり注目されていない『廃墟』にこそ、宝物が眠っているのではないか」

 思い返せば、小学校の卒業文集に「廃墟」の絵を描き、中学時代は古い給水塔に潜入、さらに音楽を始めて壁にぶち当たったときも、「廃墟」に救われている。「廃墟」こそ、わが人生の道標(みちしるべ)ではないのか。

 そんな思いにかられた矢先、長崎県の五島灘に浮かぶ廃墟の島・軍艦島へ行かないかという誘いが舞い込んできたのである。