派手に遊ぶ“ナイフ”のような学生
それにしても、なぜ根本さんは、これほど自殺しようとする人に関わるのだろう。
母親・智恵子さんによると、友達のことを放っておけないタイプで、面倒をよく見る子どもだったという。
「私がサラリーマンになれって言っても、“俺は会社のために身を粉にするのは嫌だ、人のために生きるんだ”と言っていたのを覚えています」
根本さんが生まれたのは1972年。一徹という名は、当時人気の野球漫画『巨人の星』に登場した星一徹から取った。智恵子さんが「イッテツ」という音の響きが好きだったのだ。育ったのは東京都品川区。友達が多かった。
「空手とか音楽のバンドとかやって、遊び好きで、ぜんぜん家にいないメチャクチャな子でした。性格は悪くないんだけど、いつも“ちゃんとしろ”と言っていました」
高校を卒業後は、昼間、仕事をしながら慶應義塾大学の通信制で学んだ。仕事は、クルーザーの運転手。サンセットクルーズを楽しむ人やゴルフに行く人を送ったりした。
大学の学習サークルの仲間だった武田光司さんは当時の根本さんをよく覚えている。
「バイクが大好きで、よく酒を飲んで、クラブなどで踊り狂って、ときにナンパもしていましたね。それに議論が好き。みんなと楽しく飲んでいるのもおかまいなしに、怒鳴り合いながら激論を交わしていることもありました」
軟派かとも思うが、違う。
「目力の強さは圧倒的でしたね。極真空手をかなり極めていて、ナイフのような鋭さがありました。“触ると切れるぞ”という危うい雰囲気を醸し出していました」
正義漢でもあった。例えば街角で殴り合いのケンカを見ると放っておけず、躊躇(ちゅうちょ)なく仲裁に入っていた。
「彼の行動の背景には、彼も僕も大好きな中国の歴史や思想があるんです。とくに『義』や『義侠心(ぎきょうしん)』。けっして見返りを求めず、人のために尽くすという精神です」
「カリスマ性」もあった。相手が誰であろうと差別なく受け入れるので、根本さんの周りには自然と人が集まった。