作家の岩井志麻子さんもこう語る。

「何に対しても言えることだとは思いますが、“お母さんとはこういうものだ”という概念なんて、時代や場所によって全く違います。現代の日本の基準が、江戸時代や遠く離れた外国で通じるのか、ということです。

 ただ、『お母さん』しかり、狭い社会での通念は、声の大きい人の理想が基準になりがちだし、“〇〇さんに比べてウチは……”といった安易な競争基準にもなりがち。実にめんどくさいと思います」

学校の「道徳」内容に疑問

 そして現在、堀越さんが危惧していることがある。

「私には小学生の娘が2人いるのですが、学校の教育方針に、やたら『感動』や『家族の愛』『みんなのために我慢する』といった、同調圧力の押しつけが多い気がするのです。大正から戦時中にかけて母親の自己犠牲をあるべき姿とさせたことと重なるように感じます」

 例えば、10歳になったことを祝い親に感謝する「二分の一成人式」。運動会での巨大な組体操、今春、正式な教科となった道徳の内容に、それらが見られるという。

「20年くらい前までは、教育現場での支配の仕方はまだ鉄拳制裁が当たり前でした。それにとってかわったのが、『感動』なのではないかと。

 ただ、私のように『お母さんはこうあるべき』に悩まされた人がいるように、押しつけられた感動に乗れない人も、もちろんいるはず。そういう人がダメな人間とレッテルを貼られるようになったら、とても恐ろしいことです」

 再び、岩井さんの意見を聞こう。岩井さんの場合、先方の要請により子どもは早々に再婚した夫側が引き取り、岩井さんが家を出た、という過去がある。

「私なんて誰が見ても『いいお母さん』ではないでしょう。実際、長女には10年くらい口をきいてもらえてません。でも、自己弁護をする気は毛頭ないですが、息子は“あくまでも自分にとってだけはいいお母ちゃん”と言ってくれているし、今じゃしょっちゅう一緒に飲み歩いています。

 それって単純に人間としてうまが合うか合わないかであって、母親の崇高な愛情とか道徳じゃないんですよね」

 最後に、堀越さんがこんなエピソードを語ってくれた。

「うちの長女からは“先生はこんなこと言うし、教科書にはこうあるけど、私はこうだと思うんだよね。でも、学校ではこう書くと点がもらえるから書くけどね!”という、したたかさを感じます。

 つまり、学校の教えをすべて正しいと思っていない。この感覚を自分の娘が身につけてくれていたのは、親として救いです」


堀越英美さん◎ライター 1973年生まれ。2女の母。著書に『萌える日本文学』、『女の子は本当にピンクが好きなのか』。

『不道徳お母さん講座』(河出書房新社刊税込み1674円)母親でもある著者が、日本の「道徳」のタブーに踏み込む。歴史をさかのぼり、母性幻想と自己犠牲への感動に満ちた「道徳観」がいかに作られたかを明らかにした一冊。