50歳で決意した僧侶への道
早いもので、今年は夫の七回忌だった。法要の席で、僧侶のひとりとしてお経を読んだのは妙憂さん。
お坊さんになろうと決めたのは、さかのぼること、夫の四十九日のことだ。
「この話、変人扱いされるから、人に話すなと息子に言われてるんですが……」
そう前置きして、語られたのは、大学時代に1年にわたり留学した、中国での出来事。
リュックひとつで放浪していた妙憂さんは、タクラマカン砂漠の大地に立ったとき、「かつて、ここに来たことがある」と、強いデジャビュを感じたという。
「そのとき、自分の前世は、中国の修行僧だったと感じ取ったんです。これはもう、理屈ではなく、直感でした。主人を看取り、俗世でひと仕事を終えたことで、原点回帰のように、当時のことが蘇(よみがえ)ってきたんです。そうだ、そうだ、お坊さんだったと、進むべき道が見えたんです」
それからは、見えない力に導かれるように、事が運んだ。
出家のため、退職を申し出た妙憂さんに、「親戚に僧侶がいる」と、職場の上司が紹介したのは、高野山真言宗。
宗派について調べるうちに、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「留学中、西安(せいあん)で心惹かれて1週間も通い詰めた寺がありました。それが、真言宗の開祖、弘法大師が修行した、青龍寺だったんです」
強い運命を感じた妙憂さんは、夫を看取った翌年、翌々年と短い修行の段階を経て、「四度加行」という本格的な修行に臨むことを決めた。
「得度、受戒の短い修行だけでも、僧侶と名乗れます。頭も丸めなくていいし、ここまではやる人が多いんです。四度加行は、修行を終えると弟子がとれ、葬儀でお経も読めます。ただ、ほぼ1年間、完全に俗世を離れる修行なので、家族をどう説得しようか頭を悩ませましたね」
ところが、意を決して切り出したところ、長男と母親は、「ふ~ん」という反応。当時、小学4年生だった次男は、「シュッケってなあに?」。いずれにしても、反対はなかったという。
その理由を問うと、長男と母親は、こう口をそろえた。
「言っても、聞かない(笑)」
史一さんが続ける。
「それに、責任感のある母なので、僕ら息子が困らないよう、事前に準備をしてから行くとわかっていたんです」
その読みは正しかった。
母・公江さんが話す。
「気がかりは孫たちのことでしたが、私に頼みたいというので、それならオッケー、任せてと。私が孫たちの家で暮らすことにしたんです」
こうして、妙憂さんは、本格的な修行のため高野山へ。
2014年、節目の50歳を迎えたときだ。