津川雅彦宅に居候し、ソロデビュー
1971年12月4日、東京で生まれた。2つ上に兄がいる。曽祖父は日本映画界の祖といわれるマキノ省三、祖父は映画監督のマキノ雅弘、父の従兄弟(いとこ)には俳優・長門裕之、津川雅彦がいるという芸能の家系だ。
アンナさん1歳のとき一家は沖縄へ移り住む。
「父は遊びで訪れた沖縄が気に入り、親からの遺産も手にしていたので、ここで何か始めようと移住したようです」
アンナさんが10歳のとき、父は俳優を養成する沖縄アクターズスクールを始めた。人見知りしがちだったアンナさんも母のすすめで入校し、すぐに芝居に夢中になった。
やがて時代は松田聖子や中森明菜といったアイドルの全盛期を迎え、スクールも子どもたちの歌とダンスを育成する場に転換していく。次第にアンナさんもアイドルデビューへの夢を膨らませていった。
14歳のとき、オーディションを受けたいと上京する。手を差しのべてくれたのは津川雅彦であった。
「父と相談しにいくと、津川さんは、うちで預かるよと言ってくれました。(娘の)真由子もきょうだいがいないからアンナがうちに来てくれたらうれしいだろうからと」
津川はオーディションのブッキングをしてくれ、日舞やダンスの稽古に通わせてくれた。実娘と同じように食事や観劇に連れていき、洋服も買い与えてくれたという。
「値札なんか見なくていいから、お前の欲しい服を選べと。私の願いを叶えようと面倒をみてくれ、夢のような生活を送らせてくれました」
津川は帰宅すると決まって長い時間うがいをし、“この世界でやっていくなら、とにかく風邪をひかずに自分に来た仕事は全うしなきゃいけないよ”と話していたという。
アンナさんは15歳でデビューを果たす。当時大人気だったゲーム『ドラゴンクエスト2』のメッセージソングが初シングルで業界初のゲームとアイドルのタイアップも話題となり、売り上げを伸ばした。
「事務所も若い子がいなかったので、お姫様のように扱ってくれました。初めは謙虚な気持ちでいたんですが、徐々にその扱いに慣れてくると、荷物を持ってもらえないだけで“気がきかないな”なんて思うようになりました」
2作目はまるで売れなかった。来る仕事にも不満を抱くようになった。
「有名になる人の陰には売れない人が何千といることを初めて知りました。でも自分が売れないのは周りの大人のせいと決めつけていたんです」
それでも事務所が売ると決めているうちは手厚く扱われた。しかし新人が入ってきた途端に、誰からも声をかけられなくなったという。
「ようやく厳しい現実を知りました。思い上がっていた自分にやっと気づいたんです」
結局、契約途中で事務所を辞め、父が預かるかたちで沖縄に戻ることになった。