4月30日で「平成」は幕を閉じ、5月1日から新元号へと変わる。結婚、離婚、不倫に訃報、自殺や事件にトラブルと、平成の30年間の芸能史を振り返ってみると、さまざまな出来事があった。平成の幕開けとともに芸能記者となった筆者が見てきた、芸能界の30年間の喜怒哀楽。第5回は「平成5年」。
平成5年
平成5年といえば皇太子さまが、当時、外務省のキャリア官僚だった小和田雅子さん(現・皇太子妃の雅子さま)とご結婚された年だ。
ご成婚のパレードには、約19万2000人が祝福の列をなし、その模様はテレビ中継され、大きなニュースとなった。また、キャリアウーマンからの皇太子妃は海外でも報道され、話題になった。
スポーツでは、サッカーのプロリーグ「Jリーグ」が開幕。連日スポーツニュースで取り上げられ、小・中学生の憧れの職業が、野球選手からサッカー選手になった時代だ。現在も現役で活躍するキングカズこと、三浦知良率いるヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)がリーグ優勝。カズは初代MVPのほか、日本人初のAFC年間最優秀選手賞に輝き、日本中がサッカーに沸きはじめた。
その一方、初めてのサッカーW杯を目指すサムライブルーは、イラクとの予選最終戦で終了間近に失点し、本大会出場の夢が消えた“ドーハの悲劇”も経験。
大相撲では史上初の外国人横綱として曙が誕生。若貴ブームの熱も続き、相変わらず相撲人気は高く、身内でもチケットが取れない状況が続く。
バブル期の計画による建築ラッシュで、福岡ドーム、横浜ランドマークタワー、レインボーブリッジなど、日本を代表するランドマークも続々と完成していった。
ニュースの顔からバラエティへ
そしてこの年、テレビの世界でもっとも衝撃だったのは、フリーアナウンサーの逸見政孝さん(享年48)の死だ。
「バラエティー番組全盛期。当時、その頂点にいたのがフジテレビでした。逸見さんは、フジテレビのアナウンサーとして、かなり真面目な風貌でした。髪は七三分け、メガネにスーツ。表情も硬く、話し方も常に敬語で、バラエティーというよりも報道向きのアナウンサーでした。
昭和の末、大人気だったおニャン子クラブの『夕やけニャンニャン』に続いて放送されるニュース番組の宣伝スポットに、逸見さんが登場。すると、『夕やけ──』MCのとんねるずのいじりによってそのトークがウケはじめ、逸見さんの見た目としゃべりのギャップが、バラエティーには欠かせない存在になりました」(当時を知るフジテレビ局員)
のちにフジテレビのバラエティーを代表するタモリ、ビートたけし、明石家さんまの特番の司会は、いつも逸見さんが担当していた。そして、クセの強い3人を相手に堂々たるMCぶりを発揮。局アナからフリーに転身後も笑顔と優しい語り口は、他局のバラエティー番組でも不動の人気を築いていた。