平成の大きな流れは“ドキュメント化”
ちなみに、アポなし企画は、「本当にアポが取れなかったので現場へ行くと、おもしろいものが撮れた」という偶然から始まった。
「アポが取れないなら行っちゃえ、という現場の運動神経ですよね。ある種、無謀なのかもしれない(笑)。今でこそ街を旅する番組で、タレントがその場で交渉するのが当たり前になっているけど、あのころはスタッフがやることだった。
そういう意味で言うと、平成におけるテレビの大きな流れのひとつが“ドキュメント化”だと思っているんです。そこにあるものを映す、という。
それを昭和に始めたのが萩本欽一さんで、素人をいじったりリハーサルと違うことを本番でやったりして、その反応を映した。その後、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』では街にカメラが出て行ってロケをするように。そうしたドキュメント化の究極みたいな形が電波少年でした」
最新技術を貪欲に取り入れた点でも先駆的。セットにCGを使用、今ではバラエティーの手法として定番化したテロップも電波少年が草分けのひとつだった。
「笑いって基本的に“裏切り”だから、あるひとつの型ばかりになっちゃうと笑わないんです。ずっとアポなし企画ばかりやっていると、みんなその型に慣れてしまうから、そこを裏切らないといけない。
僕はお笑い番組をつくっているから、どうしたら笑ってもらえるかを常に考えていて、テロップを入れたほうがわかりやすければ入れたし、ナレーションでツッコんでオチをつけたりもした。技術は進化しているし、人間の表現力もまだある。コンプライアンスなどで、番組づくりの幅が狭まったとか言われていますが、やり方はあると思うんです」