仲間のひとり、東京都酪農業協同組合組合長・平野正延さん(69)が当時を振り返る。
「仕事が終わると、磯沼の家に集合してね。専門家を呼んで、コンピューターで管理する餌やりソフトの開発をしたこともあったな。特に磯沼は、アイデアマンなので、牛の品評会を立ち上げるときは、『農業祭』にして消費者も呼ぼうなんて知恵を出して。20代で若かったから夢中で語り明かして、気づけば夜中の2時、3時。お母さんに“いつまでやってるの!”なんて、あきれられたもんです(笑)」
父親は、そんな息子を黙って見守っていたという。
時代は、高度経済成長期。食料も豊富になり、牛乳の生産調整が始まっていた。そのあおりを受け、近隣の酪農家は次々と廃業していった。
前出・平野さんが続ける。
「お父さんにはお父さんのやり方があったと思います。ただ、厳しい時代背景の中、息子の若い感覚も取り入れようと考えたんでしょうね。
最新式の機材を入れたときは、“土地売って、金を工面した”って、お父さん、まんざらでもない顔で話してました」
オーストラリアでの体験
こうして、新しい牧場づくりに取り組むこと数年。
ある出来事を機に、磯沼さんは、根本から牧場のあり方を見直すことになる。
牧場といえば、牛が「モ~、モ~」と鳴いているイメージがあるが、磯沼牧場の牛は、とても静かだ。
「牛は、不快なときに鳴くんです。何とかしてくれって。うちの牛はそれがないから、鳴く必要がないんです」
磯沼牧場では、動物の自主性を大切にする、『家畜福祉』の考えを基本にしている。
「フリーバーンといって、牛舎内で牛が自由に動けて、餌も好きなときに食べられるようにしています」
今の形に飼い方を見直したのは、26歳のとき。
海外青年派遣事業の研修で、オーストラリアの酪農を体験したことに始まる。
「衝撃でしたね。日本では、効率を優先して、牛を狭いスペースに入れ、つないで管理するのに、オーストラリアでは放し飼い。土地が広いせいもあるけど、根本的な考え方が違うんです。彼らは牧場の仕事を、単なる労働ではなく、人生を豊かにするための楽しみだと考えていて、牛や羊も、仲間のような存在なんです。それを見て、ああ、これが自分の目指す牧場の形だと確信しました」
ノウハウを持ち帰り、さっそくフリーバーンのスタイルを導入した。
生産効率第一主義の日本の酪農と、真逆の方向に舵を切ったわけだ。
結果は吉と出た。