所属する横浜市職員落語愛好会は、落語家のみならず、マジシャンや講談師まで多彩な人材がそろい、求められれば月に数回、各地の敬老会や福祉施設などで演じてきた。

 そんな出前寄席の“つかみ”のところで身体の障害を観客に伝えると、演じ終えた後、そっとそばにやってきて、言葉をかけてくれる観客も少なくなかった。

「“頑張ってね!”とか“元気がもらえた。ありがとう!”そんなふうに言ってもらえる瞬間が、やっぱりいちばんうれしいですね。ありがとう、ありがとう」

 ファンからのありがたい応援がおたまさんを奮い立たせ、さらに稽古に熱が入っていく。

かわいそうと思われるのが嫌で、元気になって帰ってもらえるように意識している
かわいそうと思われるのが嫌で、元気になって帰ってもらえるように意識している
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病、再び……

 だが病は、おたまさんを放っておこうとはしなかった。

 平成16(2004)年の春のことだった。

「頭が痛いのとうっとうしいのと。集中力もなくなってきて先生のところに行くと、即、入院」

 脳腫瘍の手術では病変部を切り取るが、それは身体に影響を与えないギリギリの範囲まで。おたまさんの頭にも、取り除けない病変部が残っていた。それがこの17年間に、成長してしまっていたのだ。

 桜咲くころ、頭をまた丸刈りにし、再び数時間におよぶ大手術を受ける。

 手術は成功。だが今回は左目は見えなくなり、左耳は聞こえず、左半身の感覚が失われた。前出・小どろさんが、直後の様子を明かす。

「神奈川リハビリテーションセンターっていうのがあるんだけど、ここに見舞いに行ったときには、歩行器につかまってようやっと歩けるぐらいの感じでね。“これは、もう落語はできないんじゃないか!?”と思ったよ」

 愛好会のメンバーほぼ全員が同じように思ったという。

 おたまさんも言う。

「手術の後、看護師さんが言うんですよ。“車に乗せて桜を見に連れて行ってあげるからね”って。リハビリで身体を動かそうとしてね。でも私は“桜なんていい! 横になっていたい!”って(笑)。

 つらかったなあ……。桜見ると、私、それを思い出す」

 とはいえ、幸運なほうだった。命は助かっても、植物状態になってしまうような人も珍しくはないのだから。

 給食の仕事への再びの復帰を期して、リハビリに励む日々が始まる。

 だが、そんなおたまさんに、さらに病が襲いかかる。