息子の死を乗り越えて
それは平成28(2016)年12月1日のことだった。このときばかりは、元気なおたまさんの声がか細くなる。
「“長男の国人が出かけるはずなのに車が動いてない。おかしいな”と。それで下の部屋をのぞいてみると倒れてた。高血圧でした。長男は本当にやさしい子でね。自分の病気よりずっとつらかった……」
誠さんがこう回想する。
「夜の10時ごろだったかな。その場で携帯にすぐ電話を入れてきて“お兄ちゃんが死んじゃってる! 冷たくなってる! どうしよう!?”と。あんなに取り乱した姿を見たのは、初めてでした……」
国人さん、享年43。
見送りまでの2日間、ご遺体に寄り添って眠ったという。
“今日も学校で牛乳をもらって飲んだんだ─!”。
思えば国人さんからの、そんな言葉がきっかけとなって給食の仕事につき、後に落語愛好会に加わった。いわば、
『九色亭おたま』生みの親。そんなわが子との、今生の別れであった。
◇ ◇ ◇
あれから2年。
今年2月最後の木曜日、おたまさんの姿は、横浜市中区の『ちぇるる野毛』3階の横浜市野毛地区センターにあった。この日は横浜市職員落語愛好会の、月1回の練習日。6月23日(日)ににぎわい座で開催される『第75回 落語の会』に向けて、会員たちの貴重な練習の機会である。
稽古は、上州亭楽々さんの『幇間腹』から始まって、湊屋波止婆さんの『持参金』と続いていく。そのたび、扇子の使い方、話の構成などに小どろさんから厳しくも的確な指導が入る。
そんななか、3番手としていよいよ、おたまさんの登場だ。
この日はウオーミングアップがわりに、小噺を披露。
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。今日はおじいさん、お天気がいいので久しぶりに山に芝刈りに。おばあさんは川に洗濯に─―。
すると川上から大きな桃がドンブリコドンブリコと流れてきた。おばあさん急いでウントコショと取り上げたら思わずプゥーと漏らしてしまった。山へ行ったおじいさんが帰ってきた。“おじいさん山はどうでした?”と聞くと、“あぁ、くさかった”」
そんなバレ話(下ネタ)を聞いていると、くるみさんが横からそっと教えてくれた。
「おたまさんっていつも明るくて愉快で、それでいて練習熱心な人です。
おたまファン? 多いですよお。落語会なんかで“今日はおたまさんは休みです”と言うと、“えっ! 今日、来ないの!?”って受付では必ず言われます。障害があっても元気なおたまさんを見て、元気をもらって帰る人がたくさんいるんです。男性ファンも多いですよ」
ほほう、そうですか、くるみさん。でもどうしてそんなに男性に人気なんでしょう?
くるみさんの背後から、稽古を終えたおたまさんがタイミングよくやってきて、明るい口調で口を出した。
「そりゃ、顔がいいからよ!えへへ」
おあとがよろしいようで─。
撮影/渡邉智裕
取材・文/千羽ひとみ
せんばひとみ ドキュメントから料理、経済まで幅広い分野を手がける。これまでに7歳から105歳までさまざまな年齢と分野の人を取材。「ライターと呼ばれるものの、本当はリスナー。話を聞くのが仕事」が持論。