冒頭のひと言は、思いだけでは変わらないという厳しい現実を突きつけるものだった。
「音楽イベントを開催しようと、ある通りの商店街の方々に1口500円の協賛金を募ったところ、怒号が飛び交った光景は忘れられません」
今でこそ笑い話と市来さんは言うが、当時は心が折れかけた。
「いきなり大きく変えることは無理だと思いました。以来、熱海を変えたいと願う身近な住民や店舗と、小さなことから始めようと方向転換したのです。形にして提示することで、段階的に理解者を増やしていくしかないだろう、と」
“意図していないのにV字回復”
'09年には、地元民にもっと熱海を知ってもらう体験交流型イベント『オンたま(熱海温泉玉手箱)』をスタート。干物作りや文人が愛した熱海の別荘地を訪ねるツアーなどを開催。
多岐にわたるアプローチにより、徐々に地元での輪を広げることにつながっていく。
「“継続は力なり”ではないですが、続けていくことが大事だなって。市や観光協会の中にも理解者が増え、手ごたえを感じ始めるようになりました」
観光客に頼るのではなく、地元から活気を生み出すという発想は、次第に定着。'13年には、熱海銀座通り周辺を大々的に開放する青空市場『海辺のあたみマルシェ』を開催した。
「Uターンした当時、銀座通りはシャッター通り寸前でしたが、今では新規のお店が出店するなど盛り上がっています。20代、30代の若い方も増え、中には熱海の活気を気に入って移住される方も少なくない」
「最近、熱海がアツい」というウワサを聞きつけた老若男女が集い始め、'15年には宿泊客数が300万人を突破。“意図していないのにV字回復”という激レアな復活劇を作り出すまでに発展した。
「熱海は、観光客に頼りすぎてさびれた過去がある。浮かれることなく、これからも熱海を第一に、みんなで楽しめる機会を創出していきたいですね」