「いらっしゃいませ」
『カフェ・バッハ』のドアが開き、一歩足を踏み入れると、スタッフ全員からの心地よい挨拶とコーヒーの豊かな香りが迎え入れてくれる。
18世紀ドイツで活躍したバロック音楽の作曲家、バッハをはじめとしたクラシック音楽を聴きながら、丁寧に抽出されたコーヒーと本格ドイツ菓子を楽しむ優雅な時間。カウンターの壁には自家焙煎豆がずらりと並び、磨き上げられた焙煎機が鎮座する。
バッハが生み出したもの
1968年、東京の下町、浅草からほど近い山谷(現・台東区日本堤)に開店し、昨年、開業50周年を迎えたカフェ・バッハ。山谷は戦後日本の復興を支えた労働者の町だ。東京五輪前には約1万5000人の日雇い労働者が集まった。現在は酔っ払いの姿も見られなくなり、観光地へのアクセスもよいため、外国人観光客が訪れる美しい町となっている。
この土地で半世紀。地域とつながり愛されるカフェを営み、卓越した焙煎技術と開発にかける情熱で日本のコーヒー界を牽引してきた。それが、田口護・文子夫妻である。
カフェ・バッハには毎週のように日本各地、そして海外から、視察が訪れる。焙煎技術や接客の極意を惜しみなく伝え、カフェの開業を目指す若者からも尊敬を集めている。田口夫妻の胸には「よいもの、正しいもの」を追求する妥協なきスピリットが、今なお燃え続けているのだ。
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カフェ経営や焙煎技術の根底に流れる確固たる田口の哲学─味に妥協せず、誰もが美味しいコーヒーを安定して再現できる技術理論の確立─は、今やコーヒー業界で揺るぎない伝説となっている。その火つけ役でもあり、40年以上の付き合いになる山内秀文さん(69)は、当時、食に造詣が深い柴田書店の敏腕編集者だった。
「田口さんは、お会いしたころから非常に論理的でコーヒーに関する探究心がずば抜けていました。日本のコーヒー技術は'70年代から非常に高いレベルでしたが、'80年代に自家焙煎の技術を革新してベースを作ったのが田口さんです。先人の技術を分析して引き継ぎ、さらに論理を確立し洗練させていく。
店を大きくするのではなく、職人を育てグループを作って焙煎技術を共有するシステムもバッハが生み出したものです。今やバッハから巣立った人たちが全国でカフェを経営しています」
さらに、まだネルドリップが主流だったころ、家庭への普及を見据えてペーパードリップにいち早く切り替えたことも先駆的だった。
日本のカフェの基準を変えたといっても過言ではないカフェ・バッハ。その原点は、妻である文子の実家が営む食堂だった。