2004年4月、2人そろってめでたく大阪市立大のロースクールに合格。ヤヱさんは和行さんから、昼食用に2人前のお弁当作りを頼まれた。
「毎日、外で食べるとお金がかかるでしょ? 和行はお弁当を食べて吉田くんはお弁当がないなんて、そんな残酷なことはできない。それで“いいよ、2人分作るのも同じだから”。抵抗はなかったです」
吉田さんに冷たくすることもできた。そうすることで別れに誘導する方法だってあったはずだ。
「そんなことは微塵も考えなかった。結婚しても離婚する夫婦もあるぐらいやから、お互いの気持ちが変わって“別れましょう”ということはあるかもしれない。でも、別れさせるために冷たいことをするなんて、発想もしなかった。“人の道理”として、普通の人ならそう思うはずですよ」“2度と会わへん!”と怒った吉田さんの心情にも、変化が起こり始めていた。
「入学直後の6月ごろに、たこ焼きパーティーをするという話があって、僕も呼ばれたんです。“どうしようかなあ……”と思って。
“2度と会わすな!”とは言ったけど、お弁当を作ってくれているし、お礼を言ったほうがいい、言わなきゃいけない、とは思っていて。それでお礼を言ったら、(ヤヱさんは)“そんなの全然!”と。軽い感じやったと思います」
実は吉田さんは料理が得意で、ロースクールに入学した年の年末に、手作りしたおせち料理をお礼がわりにヤヱさん宅に届けたことがある。お互いに“ありがたい”“お礼を”と思いながらも、ともにどう接していいかわからない状態での、しゃちほこばった挨拶が続いた。
“こだわり”がすーっと消えた瞬間
当時を振り返り、ヤヱさんには思うことがある。
「(料理の得意な)吉田くんが私のことが嫌で、“自分がなんとかするからいい!”でなくて、私のお弁当食べてもええと思っていてくれた。これは喜ばなあかんかったな、と。私を受け入れてくれていたんだと。最近になってそう思うようになりましたね」
ロースクール通学中、1日も休まずに2人のお弁当を作り続けたヤヱさんの心に2人への理解が見え始めたのは、吉田さんが全国8位の見事な成績で、司法試験にストレート合格を果たした2006年9月のことだった。