そんな気持ちを察した松田さんは、ヤヱさんに内緒で和行さんあてに手紙を書く。こんな文面であったという。
《異性であれ同性であれ、人生の伴侶を見つけるって大変なことです。吉田くんと巡り逢えてよかった。これからバッシングを受けることもあると思うけど、それは和くんだけじゃない。お母さんも人に色々言われながら生きていくことになるでしょう。だからお母さんのことも、ちゃんと考えてあげて。
自分たちは正直に生きられて幸せだと、お母さんや周りに知らせてあげて。今はまだ混乱しているけれど、あなたを育てたお母さんだから、ちゃんと理解してくれるはず。そのための努力だけはきちんとしてね》
─理解してもらうための努力を続けて─
和行さんはこの言葉を心に留め、結婚式当日を迎える。
2011年4月9日、満開の桜の中、2人は列席者80名を前に結婚の誓いを述べて指輪を交換し、夫夫となった。
ありきたりな結婚式であり、披露宴であったと2人は言う。
牧師役の友人の司式のあと、出会いのヒストリービデオが上映され、お決まりのヤヱさんへの花束贈呈。2人にとって、最高の結婚式となった。
心からの理解と後悔
ヤヱさんが回想する。
「和やかな、いい式だったんですよ。2人が当時働いていた事務所のボスから法曹関係の人もみんなにこやかにお祝いをしてくれて。中学時代の同級生も、2人ぐらいかな、振り袖を着て出席してくれていましたね。うちは私と長男の輝行夫婦とその子ども。吉田くんのお兄ちゃんも出席してくれましたね」
ヤヱさんが2人の関係を納得し、心から受け入れたのは、この結婚式のときだったという。
「これは(和行さんが異性愛には)もう戻らないと覚悟した。これだけたくさんの人が理解して受け入れてくれるなら、私もそんなに心配せんでいいか、と。心配はこれでもう終わり、と思いました」
輝行さんがこう回想する。
「こういう生き方があるんだと、ストンと思えた時期が母にあったように思うんです。それからはすごく強くなった。迷ってウジウジしていたところがなくなって、体裁のため“理解したように振る舞う”でなくて、心から理解したんだと思います」