2人の兄は家業を継がなかった。5代目社長は父親が務めていたが、後継者のイスは空いていた。
「私がやらなければ、同じ味の『カリカリ梅』は2度と食べられなくなる。それに、“子どもの遊び場じゃない”と言われながらも、社員さんたちにかまってもらいながら成長してきたので、赤城フーズがなくなることは、身体の一部が欠落することと同じ。耐えられない。
とはいえ、私、宝塚が大好きで。主役を張るトップスターではなく、組長になるのが夢だったんです。みんなが安全に、いい舞台を見せられるように組をまとめる役になりたかった」
何もなければ、今の年齢くらいまで在団していたかもしれない……と遠山社長はつぶやく。
「でも、家族の支えがあったからこそ宝塚に入れた。だから、自分が恩返しできるならしたいと退団を決めました」
宝塚もカリカリ梅屋も、“ソウル”は同じ
前代未聞の理由で5年間のジェンヌ生活に終わりを告げ、熱い思いを胸に赤城フーズに入社。しかし、
「会社経験がないどころか、ずっと宝塚という特殊な世界で生きてきたので、何もかもがわからない。“考え方がマリー・アントワネットだ”と言われたこともありましたね(苦笑)」
結婚までの腰かけとも思われていたが、“そうじゃない”。働きながら通信制の大学で経営を学び、異業種交流会や勉強会にも積極的に参加。経営者に必要な知識や考え方を身につけながら、たくさんの新商品を考案した。
「低塩ブームの中、あえて塩分を高めにした『熱中カリカリ梅』は“熱中症対策になる”と大ヒット。宝塚への愛を込めた『梅ジェンヌ』も好評です」
入社から13年。信頼と実績を築き上げ、昨年6代目社長に就任した。
「私の仕事は『カリカリ梅』を作ることじゃなくて、『カリカリ梅』を食べたお客様に笑顔になっていただくこと。宝塚もカリカリ梅屋も、そういう意味では同じなんですよね。今後は行政や生産者とも連携して、群馬の梅ブランドを向上させたい。そして、世界中の人に群馬の『カリカリ梅』で笑顔になってもらいたいです」