とはいえ、私自身、教師として彼らのことを考えるがあまり、些細なことを見落としてしまうこともありました。そんな中、私をハッとさせてくれた出来事が以前の学校でありました。

「困った子は困っている子」

 毎日のように遅刻をしてくる男子生徒に、「なんでなん?」と尋ねると、「朝に頭やお腹が痛くなる」と言うのです。

 教室では元気いっぱいに活動できるのに、なぜ毎日、朝になると体調が悪くなってしまうのだろう。これはなにかおかしいと思い、じっくり話を聞いてみることにしました。すると、彼は申し訳なさそうに私に話をしてくれました。

お母さんが疲れていて、朝起こしてくれへん。でも、それを言うたら、きっとお母さんが先生に怒られるから、僕がしんどいと言うてた、ごめんなさい……

 遅刻ばかりしてくる「困った子」が、お母さんをけなげに思っていたこと。お母さんを守ろうとしていたこと。

 彼の「困っている」背景を考えようともせず、ただ叱っていた自分が、教師として、大人として恥ずかしく感じました。そして、彼のことを今まで以上にいとおしく感じる瞬間でもありました。

 健やかな育ちのためには子どもの立場や目線に立って考える大人の存在が必要です。それからというもの、どんな子どもたちも徹底的に認め、愛情をたくさん注いでいきました。どんな『闇』を抱えている子どもでも、ある日、心を開き満点の笑顔を見せてくれる日がいつかきっと来るのです。

 私たち大人は、日々の生活に追われ、いつしか子どもの本当の声を聞き取れなくなってしまいがちです。彼らが与えてくれる幸せにも鈍感になってしまいます。そんなとき私はいつもある保護者が話してくれたことを思い出します。それは私が教師になりたてのころでした。