感謝のカレーは格別の味
少年たちの間で中澤さんとカレーが評判になっていく。そのうち仲間内で“そんなに美味いなら俺も食べたい!”との声が上がり、ほかの保護司が担当している少年たちもが中澤家に押しかけるようになっていった。
「そうすると“俺も食べたかったのに食べられなかった”とか“呼んでくれなかった”って。でも拡声器で叫ぶわけにもいかないじゃない?(笑)
それで平等に食べてもらうために“○月○日に公園でカレーを作る”って声かけて、本格的に作りだしたの」
最初は20人前ほどだった公園カレーは、いつしか盆踊りの日などにも作るようになり、そんな日には遠く大田区からも少年たちがやってきた。
母親の立場から社会を明るくする運動を行っている更生保護女性会で、10年前からお祭りのときのカレー作りを手伝っているという田下静子さん(76)が言う。
「7月最後の金曜日、盆踊りのときなどは対象の男の子たちも家族連れでやってくるんですけれど、すごい量のカレーを、何百食分も作って、最後の片づけまでして帰られるんです。中澤さんはとにかくエネルギーがすごいです。
私の義理の母も保護司をやっていましたけれど、“おかげさまで更生しました”と訪ねてくること、なかったです。
何年か前、対象の子たちがお金を出し合って中澤さんを長野の旅行に連れていったとか。こんなに慕われる保護司は珍しいと思いますね」
更生カレーは少年たちの思わぬ力も引き出した。
18年ほど前のことだった。
「受け持っている対象者にね、私が“迷惑ばっかりかけているんだから、世のため人のため、なんかできることないのかね?”と。そして“雪かきをやると一気に取り返せるよ。達成感もあるし、地域の人に喜ばれるんだから!”」
その年の冬の土曜日、偶然、東京で大雪が降った。
「そろそろ寝ようかなと思ったら、ジャリジャリと音がする。外を見たら、元暴走族のお兄ちゃんが3人ぐらい、ちりとりで雪かきしていた!
これを見逃してなるものかと、ジャンパーを着て物置からシャベルを持ち出して。そのうち仲間が集まってきた。翌日、15人ぐらいで歩道から最寄り駅まで、土日の2日にわたって雪かきをしたの!」
すっかり片づいた歩道を、地域の人たちが感謝を口にしながら通っていく。差し入れをしてくれる人もいた。
「暴走とかで今までさんざん嫌がられていたのに、“ありがとう!”でしょ? うれしかったんだと思うよ(笑)」
雪かきが終わった後は、もちろん更生カレー。より格別の味だったに違いない。
この雪かきは、のちに月1回の清掃活動につながった。
暴走や喫煙で白い目で見られていた少年たちは、中澤さんと更生カレーのもと、地域から感謝される存在になっていたのだ。