体験することは“宝”になる

 家では3歳から包丁を持たせた。やりたがることは、躊躇せずになんでもやらせた。

 5歳のころ、釘打ちに興味を持っていると知り、部屋に大きな板を運び込んだこともある。何本も板に釘を打ちつけ、ビー玉を転がせる道を作っていくコリントゲームに幸男くんは夢中だった。毎日、トンカチでトントンと釘を打つ様子を見て、みゆきさんは「大きくなったら大工さんになるんだね」と声をかけた。

 視覚障害者が大工になるのは難しい。しかし、実現できるかどうかは関係なかった。

「幸男には夢を持つ訓練をさせていたと思います。何にでも興味を持ち、夢を持てる人になってほしくて、あのころ、常に“将来、何になりたい?”と問いかけていました」

自転車に乗ること、ハサミを使うこと、幼稚園でみんなと一緒に組体操をすることなどリスクよりも経験させることを優先してきた
自転車に乗ること、ハサミを使うこと、幼稚園でみんなと一緒に組体操をすることなどリスクよりも経験させることを優先してきた
【写真】自転車、スイミング、一人での通学、何にでもチャレンジする幸男くん

 盲学校の幼稚部に入ると、強力な助っ人も現れた。幸男くんを指導した紺野美智子さん(46)だ。

 盲学校の児童が定期的に地域の幼稚園に行く交流教育は形式的に数時間行われることが多い。だが紺野さんは、「1日交流」に変更した。

「野澤さんが“どうせ行かせるなら意味のあることにしたい”と言いました。長時間なら子どもたちが自由に触れ合うことができます。友達とおもちゃや場所を取り合うことも、社会で生活していくうえで大事な経験だと気づいて」

 視覚障害者は、立体的な感覚、特に上下の感覚をつかみにくい。そのため、紺野さんは建物の2階からハシゴで幸男くんを下ろさせ、「ほら、教室の下に保健室があるでしょ?」と教えたこともあった。「多少、危険の伴う指導でも“どうぞ、どうぞ!”とやらせてくれたから」と紺野さんは振り返る。

「野澤さんは“子どもが今こうだからこうする”ではなく、“将来こうなるために、今何をするべきか”という考えなんです。それは今、自分の子育てにも参考になっています」

幼稚部で幸男くんを指導した紺野美智子先生。電車移動など外にも積極的に連れ出してくれた
幼稚部で幸男くんを指導した紺野美智子先生。電車移動など外にも積極的に連れ出してくれた

「経験することが宝となる」そう思っていたみゆきさんは、姉の紗也香さんと同じように、幸男くんにもあらゆる経験をさせたかった。しかし全盲の子どもは、どこへ行っても「前例がない」と受け入れを断られてしまう。

「ケガをさせようと思っている人はいないでしょう。こちらも覚悟を決めてお願いするんです。あきらめない子に育ってほしいと思っている親があきらめるわけにはいかない、そんな意地がありました」

 状況を変えるため、みゆきさんはまず紗也香さんを習い事に通わせ、送り迎えの際、必ず幸男くんを連れていった。

「1年くらい様子を見てもらいながら“幸男はどうしたら通わせられますか?”って聞くんです。そうして、お姉ちゃんと同じところに通わせちゃう。迷惑だったのはお姉ちゃんかもしれないですね」