1996年の8月4日、天国へと旅立った渥美清さん。その肉筆の“遺書”があるのをご存じだろうか。
それは手のひらに入るくらいの、こげ茶色をした革製のダイアリー手帳で、表紙には“1993 TBS”とある。
業界関係者に配られたものだろうか。
その無地のメモ部分に、8ページにわたって、冒頭に紹介したようなつぶやきが記されていた。
“高羽1月治療入る”とは、1995年に肝臓ガンで死去した“寅さん”シリーズの名カメラマン・高羽哲夫さんが1993年1月に入院して治療を受けた事実を指す。
どうやらこの前後に書かれたもののようだ。
ちなみに、渥美さんがガンを告知されたのは1991年のことである。
遺族と親しいある映画関係者も、この手記の存在を認めている。
「ご遺族は“本人の手帳に間違いない。ただ、あまりに生生しくてまだ字は見られません“と語ったそうです」
その気持ちは、痛いほどよくわかる。
この手記には、生前スクリーンいっぱいに動き回り、日本中に笑いをふりまいた渥美さんのイメージとはあまりにかけ離れた苦悩、がさらけ出されているからだ。
冒頭の《恥ずかしき事ではないが本当はこわい》という告白のあと、渥美さんはいったん、こう達観してみせる。
《ガンは愛きょうのない病気だ/反面美学だ……/終焉は見ごとでありたいと思う/「牡丹しなだれている朝9時/には盛大なすがたこれにかぎる/役者にどこか似ている 見たいだ」/パット咲いて30年……/長生き牡丹かな寅次郎は/獅子文六、ウーン76歳ま/では、とてもむりだよなこりゃ……》
読書家らしく、尊敬する作家の小説を引用し、その没年齢に思いをはせながら牡丹のように死にたいと、美学を語る渥美さん。
しかし、心の動揺のためか、文字は震え、誤字も見られる。不自然な改行も、気持ちの乱れを表しているかのようだ。