「出会った全作品が僕にとっての転機」
広島県で生まれた中河内さんの運命が大きく変わったのは、15歳のとき。
「母にすすめられて受けたワークショップでダンスと出会い、衝撃を受けました。これしかないと思って。そのときの講師の方がやっているダンススタジオに入るため、単身、長野に引っ越したんです。東京へ出てきたのは20歳のとき。
夢を持って都会に出てきたあのときの僕は、まるで『モダン・ミリー』のミリー(笑)。だからミリーの気持ちはすごくわかります。自分が“やりたい”と言って広島を出たので、“どうしても負けられない”という強い思いに燃えていましたね。今もですけど(笑)」
もしもダンスと出会っていなかったら?
「想像もつかないですね。僕はじっとしていることができない性分なので、座ってデスクワークとかは無理。すぐにソワソワして身体を動かしたくなっちゃって、30分も座っていられないので(笑)。ダンスと出会う前、小さいころの夢は警察官だったんですよ。正義感が強んです」
ダンサーから俳優へと視野を広げ、出会ってきた作品は「どれも欠かせないもの」と振り返る。
「僕の人生って不思議で、全部の作品がターニング・ポイントと言えるんです。初めてのオーディションで受かって、初めて歌とお芝居を披露したミュージカルで、何もできない自分が悔しくて“頑張ろう”という気持ちを強くしたことに始まって。
近年になっても『ジャージー・ボーイズ』のときは実力派ばかりのなかで、自分の苦手とする歌を猛特訓していただき考えがチェンジしましたし。昨年出演した『ヘンリー五世』も、あのカンパニーの中でお芝居できたことで常に刺激を受けてました」
熱血な兄貴分というイメージどおり後輩のことも考えながら中河内さんのストイックな挑戦は止まらない。
「僕は“自分にしかできないことを模索しながら人生を歩まないと損だ”と思うんですよね。自分はこの世界にひとりしかいないから。役者人生、山あり谷ありでいいと思うんですけど後輩たちには山ばかりでなく“こういう人生もあるよ”って谷のところも見せていかなきゃと思っています。
そして今は、吉田鋼太郎さんみたいになりたいと思うようになりまして……。鋼太郎さんはお話をしていても舞台を拝見しても、すごく面白くて深くて、本当に素敵な方だなと思います。人間力がめちゃくちゃ高くて、その根本に技術があるから、説得力が違うんです。いつか僕も、そういう役者になりたいとひそかに思っています」
ミュージカル『モダン・ミリー』
1967年にジュリー・アンドリュース主演で製作されたミュージカル映画を、2000年に舞台化。ブロードウェイらしいクラシカルなソング&ダンスにユーモア、ファッショナブルな衣装も加わって、とびきりハッピーな傑作として大ヒット。トニー賞作品賞ほか5部門を受賞した。問い合わせ先:東宝ナビザーブ 電話03-3201-7777。東京公演は4月7日~26日、シアタークリエで上演。以後、愛知、大阪、大分、佐賀にて全国公演。詳しい情報は公式サイト(https://www.tohostage.com/modern_millie/)へ。
取材・文/若林ゆり