映画監督を目指して上京したのに、気づけば野外劇に魅了されて、世界各地でゲリラ上演。一方、毎晩通っていたゴールデン街でひょんなことから店を持ちバブル期には地上げ屋と戦い、商店街を守った。今は好々爺のごとくチャーミングな笑顔を見せる外波山の波乱に満ちた人生とは?

多くの作品を生み出した街

 春浅き東京・新宿に夜の帳が下りるころ、静かに目覚める街がある。新宿区役所から遊歩道に足を踏み入れ、アーケードをくぐると、そこは昭和の趣を色濃く残す「新宿ゴールデン街」。

 わずか50メートル四方の狭い敷地に2階から3階建ての木造長屋が立ち、280軒の飲食店が軒を並べている。

 怪しげな路地が巡り、人魂のようなネオンサインの灯る街並みは、まるで魑魅魍魎の棲家みたいだ。

─キキキキキ

 自転車のブレーキ音にギョッとして暗闇に目を凝らすと、作務衣姿の好々爺が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

 何を隠そうこの人こそ、ゴールデン街の主人、新宿ゴールデン街商店街振興組合の理事長を務める外波山文明、73歳。半世紀以上にわたって、この街を根城に、日本はもとよりシルクロードやブラジルでも芝居を打ってきた演劇人でもある。

「'60年代の末から'70年代にかけては作家や編集者、映画関係者や演劇人が夜な夜な集まり、口角泡を飛ばして議論を交わし、その果てにケンカに及ぶこともしばしば。そうした情熱がこの街から多くの作品を生み出してきたんだよ」

 その時代を知る映画『学校の怪談』シリーズや、外波山も出演する映画『レディ・ジョーカー』などで知られる、映画監督の平山秀幸さん(69)は、

「ゴールデン街の常連には、映画界の第一線で活躍する監督たちが大勢いたから、一人前にならないと敷居が高くて顔を出せなかったなぁ」

 と話せば、外波山の店でアルバイトした経験のある歌人の俵万智さんは、

「店に入ってくるお客さんはみんな俳優さんのようなもの。熱く語ってケンカして。その様子を観客としてカウンターの中から眺めるのが、一夜限りのお芝居を見ているようでとっても面白かった」と語る。

 お客として半世紀以上通い、自分の店『クラクラ』を持って41年になる外波山はゴールデン街を「僕を育てて大人にしてくれた街」と語る。

 しかし俳優・外波山文明の半生も、この街に負けず劣らず波乱に満ちたものだった。