日本初の挑戦、スポーツ義足
入社5年後には、義肢装具士国家試験に合格。10年が過ぎるころには、勘所をつかんで作れるようになっていた。
しかし、「臼井さんで義足を」と全国から患者が来るようになった今も、慢心はない。
「一人前だなんて思ったことはないですね。最初から義足がぴったり合うこともめったにないし。患者さんの声を聞きながら、調整を重ねていく。それに尽きます」
完成すれば終わりではない。筋肉や体重の増減で、そのつど調整が必要になる。このときも、対応は敏速だ。
「担当した患者さんみんなに携帯番号を伝えています。直接電話をもらえれば、すぐに義足を調整できるから」
患者のためなら、労を惜しまない。携帯登録者数は、1400人にものぼる。
まだ日本にスポーツ義足が普及していなかった30年前、初めてスポーツ用の義足を開発したのが、臼井さんである。
きっかけは、入社して間もないころに見た、1本のビデオに始まる。
「アメリカ人女性の義足ランナーが、全速力で走る映像でした。少し前に、新婚旅行先のハワイで義肢工場を見学して、スポーツ義足があるってことは知ってた。だけど、実際につけて走る映像を見て、目が釘づけになった。こんなことができるんだって」
当時の日本では、義足の人は運動を避け、多くのことをあきらめるのが常識だった。
そのことに疑問を持った臼井さんは、いつかスポーツ義足をこの手で作り、義足の人を取り巻く環境を変えたいと熱い思いを胸に抱いた。
そして、入社6年後、満を持して会社と掛け合い、スポーツ義足を開発する許可をもらったのだ。
「支給された研究費で、さっそく、アメリカの義足メーカーから、バネのような『足部』と、『ひざ継手』という、ひざの部品を取り寄せて。それからは、無我夢中だった」
目指すは、スポーツ用の『大腿義足』。太ももからつけるこのタイプは、ひざの部分も金属製なので、歩くだけでも訓練が必要。それを、走れる義足にしようというわけだ。
「苦労したのは、ひざの部分。これがスムーズに動かないと、走るスピードについていけず、つんのめってしまう。それに、少しでも角度がよくないと、ひざがガクッと折れちゃう。ひざ折れは、大腿義足の人がもっとも怖がるアクシデントで、スピードを出せば大ケガにつながることもあります」