サラリーマンになる!
2人は徐々に信頼関係を深めていった。美術に造詣が深く、写真も手がけていた真寿実さんはよき理解者となり、彼女の存在が再起のエネルギーにもなった。
「ズタボロだったんで、明るい彼女が近くにいてくれるだけで救われました」
泉先生や父の死という耐えがたい苦しみに直面するたび、献身的にサポートしてくれた彼女との結婚を真剣に考えるようになった。28歳のとき、ひとつの重大な決断を下す。抽象画家の活動にいったん見切りをつけ、サラリーマンになろうと心を固めたのだ。
「結婚するにあたって、僕に収入がないんじゃ、ご両親に挨拶にも行けない。モノを作りながら収入を得る方法をまじめに考えました。世の中や多くの人のためになる仕事をやりたいと思うようになって。30歳を前に生活を変えるのは思いきりのいることだったけど、飛び込むしかなかったですね」
職探しを始め、『ランドスケープのデザイン』という職種の募集を見つけた。面接に行くと、経歴を見て何も言わずに採用してくれたという。
転身を打ち明けられた粟国さんは「苦渋の選択だったはず」と複雑な思いを代弁する。
「川西さんは在学中から作家活動をしていたし、関西のみならず、関東にも進出して知名度もあった。僕にしてみれば、頭ひとつ抜きん出た存在でした。描くのもガチガチの抽象画。『生粋の芸術家やな』と感じていました。その彼から『俺、諦めるわ』と打ち明けられたときはホンマにビックリした。確かな才能があったんでみんな『もったいない』と口をそろえていました」
真寿実さんは「絵を描いたら?」とたびたびすすめたが、「今はそういう気にならへん」と返されるばかり。
「『最近、川西君、描いてないね』と周りから言われるたびに何とも言えない気持ちでした。両親も生活基盤のまだない夫との結婚話に驚き、私も『どうしようか』と迷いました。そんな中、しばらくして父が『川西君の可能性に賭けろ』と、ふと言った。それが自分の心を動かしました」
真寿実さんはさまざまな思いをいったん封印。新たな道を切り開こうとしている夫を支えようと決めた。
「キミはもう作家じゃない。意識改革して仕事に臨んでくれ」
ランドスケープのデザイン事務所での日々は、所長からの厳しい言葉とともにスタートした。それまでは好きな時間に起きて絵を描く自由な日々を送っていたが、社会人になった以上は満員電車に乗って出社し、責任ある仕事をしなければならない。
「猛烈に忙しくて3日に1度は徹夜。デザイン案を出してもなかなか認めてもらえず、怒鳴られまくりました。3日徹夜して朦朧としたときには、さすがに鬼上司への憎しみしか出てきませんでした(苦笑)」
劇的な環境の変化には戸惑ったものの、仕事のやりがいはあった。同社は街の花や造園整備、公園の設計など空間デザインを主に手がけていた。特に奈良県宇陀市の自然公園の仕事は強く印象に残っている。
「野球場が2~3面は入るくらい広大な自然公園のどこに花や木を植え、遊具やサインを設置し、ベンチを置くかという全体プランを考える仕事でした。『試しに川西にやらせよう』と所長は考えたのでしょう。何からやっていいのかわからない僕がボンヤリとした案を出したら『お前、調べたんか。いい加減な仕事するな』と真っ先に一喝されました」
すぐさま、いくつかの公園を回ってベンチの高さを測ったり、遊具の配置を事細かく調べたりして、具体的なアイデアを出した。だが、『どれもこれも使えない』と断罪されてしまう。
「本当に地獄でしたね(苦笑)。ただ、所長の厳しさは『よりよいものを作りたい』という思いからなんです。ギリギリまで僕らを追い込み、最後に助けてくれるのもいいところ。1年半で退職しましたけど、社会人1年生として厳しさを覚えたことはプラスになった。心身ともに鍛えられました」