大会でのハプニングはご愛嬌
ジャパンポンポンという名前をつけたのも武藤さんだ。
「アメリカのグループがサンシティ・ポンズと地名をつけていたので、当時、練習していた佃じゃ知名度が低いし、東京でも小さい。じゃあ、ジャパンにしようと、あっという間に口から出た言葉です」
半年後にはバトン部の発表会に出て、初めて5人でチアダンスを披露した。
一気にブレイクしたのは4年目の'99年。シニアのチアは珍しく、週刊誌の記事で取り上げられたのをきっかけに、テレビ、新聞、雑誌などの取材が相次いだ。露出が増えるたび入会希望者も増えた。滝野さんは『85歳のチアリーダー』を出版。イギリスのBBC、アメリカのCNNなど海外のメディアにも取り上げられた。
毎週、休みなく練習を積み重ね、本番の舞台に立つのは年に数回だ。各地のイベントに招かれたり、自分たちでチャリティーショーを開いたり。'17年には台湾から声がかかり、初めて海を渡った。
'18年6月に行われた「第12回東京都障害者ダンス大会 ドレミファダンスコンサート」を会場で見た。雨模様にもかかわらず、会場の東京体育館メインアリーナには大勢の人が来場。ジャパンポンポンがトップバッターで登場すると、大きな拍手で迎えられた。
おそろいの紺色の衣装の胸にはチーム名の頭文字がくっきり。手にはピンクのポンポン。キラキラ光る銀色のカチューシャとレッグウォーマーが若々しい。
本番で踊るときよりも、持ち物準備のほうが緊張するというのは滝沢由美子さん(67)。入会して12年目で、現在リーダーを務めている。
「衣装をひとつでも忘れたら、みんなとそろわなくて迷惑をかけますから。前の日にすべて並べて何回もチェックします。それでも、年を取るといろいろ起こるんですよ」
以前のイベントで、滝沢さんが白いブーツを忘れたことがあった。焦ったが、「白いハイソックスを買ってくればいい!」と誰かが言い出し、近くのスーパーに走った。遠目には違いがわからず、無事に踊りきったそうだ。
今回はノリのいい曲『クルージング・フォー・ア・ブルージング』に合わせて2分40秒間、踊る。みんな、とびっきりの笑顔を浮かべて楽しそうだ。滝野さんを中心にポーズを決めると、ひときわ大きな歓声が上がった。
メンバーたちの言葉で本番の魅力を紹介しよう。
「衣装を着て舞台に立つと、日常と全然違う自分になれます。よく、別人28号とか冗談を言ってます(笑)」
「やっぱり、達成感です。みんなでキチッと合わせて踊ったという達成感が楽しくて」
「舞台からはけて、あー終わったーと思う。それが気持ちいいです」
そして、滝野さんは本番の楽しさをこう表現する。
「みんなに見てもらって、ワアーッと喜んでもらったら、もう、イエーイ! アハハハハ」