生徒会役員をやっていた
10代のころを知る女性は「物静かで頭のいい娘さんでしたね」と振り返る。
「外で友達と遊ぶよりも、自宅でお母さまとピアノを弾いたりするほうが楽しかったみたいです。中学生になっても反抗期はなく、合唱部に入部してお母さまを喜ばせていました。思春期にはフンッと澄ました態度をとるようになったり、どこか冷たい感じも見受けられるようになりましたが、グレることはありませんでした」(同・女性)
中学では合唱部のほか美術部にも所属し、少女らしい一面をのぞかせる。美術部に入ったのは部室から校庭が見やすかったためで、友達と、
《好きな男の子の部活中の姿を見るのに忙しく、作品を作っている暇なんか、なかった》
と恋心を募らせた。
高校は、県内でも有数の県立進学校に合格。成績別の『私大文系』クラスでこつこつと学力を伸ばしていった。
高校で同級生だった女性が言う。
「真剣に将来を見据えて勉強していました。まじめで明るくて美人で、元気ハツラツな素敵な子でした」
一方、同級生の男性は、
「学校のマドンナとまではいかないけれど、案里さんのことを好きな男子生徒はいましたね。案里さんは生徒会役員をやっていて、“マフラーとコート着用の自由化運動”に取り組んだんです」
と懐かしそうに語る。
いわゆる“学校あるある”の類い。生徒がマフラーを巻いて自転車通学した場合、風にあおられてマフラーの端が木の枝に引っかかり、窒息する危険性があるため「禁止」とされていた。
生徒側が学校に意見を言いやすい校風の中、案里容疑者ら生徒会役員は立ち上がった。
「生徒会は“いくら南国でも冬は寒い。マフラーとコートぐらいは自由に着させてほしい”と学校に申し入れたんです。しかし、残念ながら私たちの代では認められず、自由化運動は不発に終わりました」(別の同級生男性)
後年、着用が認められたそうだから礎を築いたかたち。そんな高校時代に案里容疑者は《政治を勉強したい》と思うようになったという。