長女はしばらく不登校に
「わたしじゃなくなった」
美咲ちゃんの行方不明は、長女の心にも大きな異変をもたらした。
最初にそれがわかったのは、山梨県警を中心にした大規模捜索が10月半ばにいったん、打ち切られた直後のこと。台風19号が関東地方を襲来したためで、美咲ちゃんの行方不明以来、現場に泊まりっぱなしだったともこ子さんも、ひと区切りつけて自宅に帰ると、祖父母の家に預けられていた長女は寂しさのあまり、泣きじゃくった。
「祖父母の前では心配かけたくないから泣くのを我慢していて、押し入れで1人で泣いていたようです」
祖母が小学校へ連れて行くと、周りの生徒から「美咲ちゃんはどうしたの?」と聞かれ、そのたびに胸が痛んでいた。
「長女は、美咲の『み』と聞くだけで、わーっと泣き出すような状態でした。みんなから『美咲ちゃんのお姉ちゃん』と呼ばれるのが嫌だと。だから学校には行きたくなかったけど我慢したと言っていました」
そんな不安定な長女から耳にした中で、とも子さんが最もつらかったのは、「わたしがわたしじゃなくなっちゃった」という言葉だった。
「自尊心を傷つけられたというか、自分がなくなったみたいで。どんな思いで過ごしてきたかと思うと、かわいそうで……」
とも子さんは小学校へ行き、校長や担任教諭に事情を説明。長女に美咲ちゃんのことを聞かないよう、お願いした。すると、その日から改善されていったという。
以来、長女はしばらく不登校になった。ようやく学校へと足が向き始めたのは12月ごろ。だが、とも子さんが車で学校へ到着するも、長女はなかなか降りられない。
「一緒に授業に行こうか」
となだめすかし、長女のペースに合わせて付き添った。ところがすぐに「ママ……」とすがるような声をあげて早退。1日に5分だけでもと通い続けるうちに徐々に慣れ、2月半ばには丸1日、授業を受けられるほどに回復した。
一方、自宅では美咲ちゃんのいない3人の食卓に、重苦しい空気が流れていた。とも子さんがため息まじりに語る。
「美咲がいたときみたいに笑ってご飯を食べるとかは一切ありません。会話もほとんどなく、長女が1人で話し、それに私が相槌を打つだけです。美咲がいないこと自体がつらすぎて、夫も長女を思いやる余裕がなく笑ってあげることができないんです。家族がそれぞれ自分を保つので精いっぱいといいますか。美咲が戻って来ない限り、元どおりにはならないと思います」
家族でどこかへ遊びに出かけることもなくなった。長女から「あれ食べたい!」と言われても、「美咲が帰って来てからね」と、贅沢を自粛するほどだ。
「美咲がいないのに、美味しいものを食べるのも気が引けてしまうんです。心の底から何かを楽しむこともなくなりました」