出会って半年でスピード結婚
「たしか喫茶店かどこかで会った気がするなあ……。いちばん初めに会ったときはおとなしい、物静かな人だなあと。おちゃめなところがあって、人を楽しませるためにギターを弾いたりマジックをやったりするんですが、(看板イラストから想像されるような)ハチャメチャに明るいって人ではないですね」
しかし、仕事にはきわめて厳しい人でもあった。
「変わっているんですよ。まだお互いに打ち解けたとはいえない時分、たしかお寿司屋に行ったときだったかな、カウンターのかどがとがっていて主人が手を擦った。メチャメチャ怒って、“こんなにとがっていたら危ないでしょう! 次のお客さんも同じようにケガするよ。トンカチ持ってこい!”って」
重雄さんのけんまくに目が点になった久美さんを尻目に、その場でトンカチを持ちカンカンとかどを叩き始めた。
「私は“人の店で、それやっちゃいけないでしょう!?”って(笑)」
学校の同僚たちにはないそんな一本気なところに惹かれて、32歳で結婚、山本久美となる。出会って半年の、スピード結婚であった。同時に教諭の仕事を退職した。
クラブチームはやめても、小学校の部活の監督は続けていた久美さんが部活からも手を引いたのは、重雄さんからのひと言がきっかけだった。
「市では優勝していたし、その次の年に主力になりそうな子どもたちもすごく上手だったんです。だからもう1年やりたかったんですけれど、主人から、“10年以上やったんだからもういいんじゃないの?”と言われて」
前出・半谷さんが言う。
「決断は早い人なんですが、結婚を迷っているといえば迷っていましたね。“この人でいいのか?”という迷いではなくて、バスケをやめるタイミングに悩んでいました」
2000年3月、32歳で教員の仕事を退職。同年5月に結婚し、専業主婦となった。
その後、重雄さんからの依頼で午前中だけ出社。重雄さんが各店を視察した結果を清書したり、月1回発刊の社内報『変通信』や、店舗に掲示されるかわら版通信『てばさ記』の執筆と編集に携わったが、経営はもちろん、重雄さんの仕事に口をはさむことはほとんどなかった。
2001年には長女を出産。その3年後には次女、さらに4年後には長男と、3人の子宝にも恵まれた。
2005年には鳥インフルエンザの流行で、手羽先の入手先に苦労したことはあったものの、『世界の山ちゃん』は右肩上がりの成長を続けている。
母親として、気鋭の経営者の妻として、充実した毎日。久美さんは、これがずっと続いていくと思っていた。4年前の、2016年8月21日のあの朝までは─。
冒頭の、重雄さん死去のあの朝─。