乳児が亡くなった約1年前のこと。
「家をリフォームして、外壁などをきれいにしたんです。さらについ1、2か月前に、草や木でぼうぼうだった庭をきちんと手入れ。事件の偽装工作だったのか、単なる気分転換だったのか……」
存在感が薄かった学生時代
そして、こんな証言も。
「夫婦2人とも日中から家にいて、仕事をしている気配がまったくなかったので、不思議でした。子どもさん2人が迷子になったのは実は家出で、虐待や育児放棄があったのかもしれません」(近所の主婦)
父親の陵容疑者は30年ほど前に、現在の家に一家4人(両親・兄・本人)で転居。小学校から高校時代までを過ごした。
容疑者の父はドラッグストアの役員を務めていたこともあり、兄は医師だという。
「とてもおとなしくて、いたかどうかもわからない、存在感のない目立たない生徒でしたね」
と中学校の同級生は口をそろえ、高校の同級生も、
「僕も卒業アルバムを見て、そういえばいたなぁと思い出したぐらい。部活には入っていなかったと思うが、国公立コースにいて成績はまあまあだったと思います」
その結果、国立の茨城大学へ入学し、休学中の'06年に『自分とは何か』という自費出版と思われる著書を発表。
「なぜ、原爆によって37万人もの人々が犠牲になったのか」「赤いリンゴを見た人は、なぜそれを赤いと感じるのか」「宗教とは何か」などと前書きには記されているようだ。
「以降は職を転々として、神奈川県で新聞配達員をしていた'12年には、高齢者3人が自宅内で倒れているのを通報して表彰されたこともありました」(前出・記者)
人生の意義を考えたり、人助けをしたりしながら、なぜ自分の子どもは埋めてしまったのだろうか─。
現在、札幌市内で暮らす陵容疑者の母親は「弁護士を通してください」と言うばかり。
一部では、容疑者の子どもたちは自宅で水中出産したとか、病院には行かない方針だったとも報じられているが、妻の麻理乃容疑者の影響が強かったのかもしれない。
実家がある諏訪郡では、こんな声が聞こえてきた。
「絵が上手で、小学校時代に富士山を描いて、町のシンボルの絵として入賞した。中学校でも美術部だったと思う。本当に手先が器用で、裁縫もうまかったですね」(冒頭の同級生)
性格も活発だったようで、
「社交的だったし、グループのリーダーとまではいえないが、みんなをぐいぐい引っ張っていくタイプでした。そういう女の子は当時の男の子は苦手だったので、モテたとはいえないし、本人も男の子に興味を示してはいませんでした」(同)